週刊 奥の院 12.20

■ 季村敏夫 『日々の、すみか』 書肆山田 2500円+税 
 
 阪神・淡路大震災後(1996年4月)刊行した詩集の第2版。そえがき、鵜飼哲細見和之


「はじまりへ」
 あの地震で両親を亡くしたF青年、金属溶解の現場で仕事を始めた。彼がビールをさげて季村を訪ねてくれる。彼に贈る言葉

……
 F君、あの激震のなか「ああ赦して、一刻もはやくその怒りを鎮めてください」おもわず叫んだことを忘れないで欲しい。突如あらわれた自然の暴虐さを前に、人はただうずくまるだけなのかもしれない。
 甦る。亡くなった人は黄泉からどのように帰るのでしょうか。「湿った感情を嫌う」といいつつも、私達は水の佇まいを皮膚で覆い、衣服で包んで歩いています。人のいない廃墟がなつかしく感じられても、人工的な褐色の更地はどうしても馴染めません。
 F君、あとでわかるということは辛いことですが、私達の未来のなかで、そのことを噛みしめ、芥子粒としての点を打つべく、この歩みをやめるわけにはまいりますまい。どうかこの夏、息災のうちにくぐりぬけてください。そして秋、また元気な顔を見せてください。

 震災とその後の出来事を書いてきた。
「祝福」
 魯迅の小説。おおつもごりの夜、身寄りのない老婆が野垂れ死ぬ。最期の言葉は、
「人が死んだあとで魂というものはあるでしょうか。地獄はあるのでしょうか。同じ家の者は死んだあとで会えるのでしょうか」
 作者と思われる男は新年を祝福する日に「なにもいえない」とつぶやき、
つましい老婆の死を書き留め「知識は罪悪である」と、魔王の形相で立ち去った。
 季村は、震災で家を失い身ひとつになった老人たちと寝食を共にした。あの小説は「今ここ」の再現だと知る。

……
まざまざと敗北を知った。街とともに自分が壊れていくのを知らされた。多くを語っても「なにもいえない」ことを告げたとき、やっと私達はほほえみを灯すことができるようになった。
 
あの日の災厄により私達が蒙りうけたのは、誰のものでもない出来事そのもの。限定された地域での、個別の事態そのものであった。多くの老人たちは、放心して何日も横になったままであった。そのなかのひとりの「焼けだされたけれど、こうして一日生きれたことが幸せです」このささやきが私達に刻印された。

「そえがき」で細見が書く。
アンネの日記』に代表されるように災厄のただなかで書かれるものの代表は日記。だが、自分のため、あるいは後世のために書かれる。

……震災のただなかで書くということは、詩のだいじな機能のひとつであるように私には思われる。……災厄のただなかでその災厄を共有しているひとびとに向けて書かれうるもの(原文は傍点)――ひょっとしてそれは詩のだいじな定義のひとつですらあるのではないだろうか。

 災厄のなか、書き続ける。
(平野)
○ 山本善行『古本泣き笑い日記』(みずのわ出版)サイン本、あと1冊になりました(19日閉店時現在)。
○ NR出版会HP連載「書店員の仕事 18」 三重大学生協・杉本さん。 

http://www006.upp.so-net.ne.jp/Nrs/memorensai_29.html