週刊 奥の院 9.30

■ 穂村弘 『蚊がいる』 メディアファクトリー 1500円+税  
 歌人の随筆集。
● 蚊がいる  L25リクルート)連載(2008.4〜09.8)
● かゆいところがわからない  週刊文春(2011.3〜13.6)
● マナー考  読売新聞(09.6〜10.3)
● 納豆とブラジャー  GINGER L(10.1〜13)
○ 特別対談 ×又吉直樹
ブックデザイン 横尾忠則


「蚊がいる」
 文房具の話で始まる。大きな文房具屋さんで美しい文房具をながめていると幸福。家にそのような文房具があることを想像する。
「美しい、整った、静かな、優しい世界……」
 だが、文房具の世界から一歩外に出れば、
「そこには混乱と不安と苦痛が充ちている」
 どんな世界?
 たとえば、寝不足。睡眠の足りない体で活動するのは辛いが、眠れるとしてあと何時間しか眠れないというのはさらに苦しい。
 或いは、数学。苦手。得意な友人に訊くと、もっともがけと言う。
 また或いは、蚊。睡眠中に蚊がブーンと。何時間か後にはおきなければならないのに、蚊をやっつけなければ眠れない。

 生きる力の最後は「これ」しかないのだろうか。寝不足=自分自身が相手でも、数学が相手でも、蚊=虫が相手でも、最後の最後はぐちゃぐちゃの苦しみのなかを「ただ頑張る」ことでしか対応できないものなのか。みんなそうしているのか。……

 雑誌やテレビのなかでは、「苦しみ」は感じられない。
「あれは嘘?」
 文房具を並べているとき、「世界は美しい、整った、静かな、優しい場所に感じられる。あれは夢?」

 最後の最後には「ただ頑張る」しかないのなら、誰かはっきりと私にそう告げて欲しい。でないと、踏ん切りがつかない。私は大きな机の上できれいな文房具たちをいつまでも並べ替えていたいのだ。

「他人の絆」
 本屋の話が出てくる。知人の話。
 和服の「おそろしく綺麗な女」が来店。
「この店でいちばんエロい本をください」
 反応できずにいると、
「いちばんエロい本をもってこいって云ってるんだよ!」
 と怒鳴られた。
 彼女は刑務所にいる彼のために本を買いに来た。

……
 うーん、と思う。凄い話だ。そんな用件なら手下の男たちを使いに出してもいい筈なのに、自分の男のために彼女が自ら出向いてくる。それってやっぱり愛情なんじゃないか。

 穂村が会社勤めをしていた時の話。後輩の女性と残業。帰ったら何をするのか訊ねると、「釣りです」と答えた。
 無職の彼氏が彼女の家に転がりこんで、家族ともうまくやっていて、彼の仕事は最寄り駅まで家族全員の送り迎え。彼女は毎日彼の弁当を作ってきて、夜は一緒に釣りに出かける。

 彼女的にはそれでいいのかなあ、と思ったけど他人の絆に口は出せない。……結局、私には踏み込めない領域なのだ、と感じつつ、悔し紛れに訊いてみた。
「彼のことが好きなんだね」
「まあ、禿げなんですけど」
……

 彼女のことを「なんて男前な女の子なんだ」と思った。


 対談相手・又吉が鋭い。
 本のタイトルについて、
「もしかして放哉ですか?」

(穂) 〈すばらしい乳房だ蚊がいる〉ですよね。僕はそれ、すっかり忘れてて、うわ、しまったと。

「蚊がいる」という言葉に、普通の人は「そりゃいる」と思う。しかし、テレビや雑誌の中に「蚊はいない」。ドラマのラブシーンで「蚊」が出てくることはない(ラブコメならあるかも)。その世界では「蚊」はないことになっている。でも、それを「いる」と言うことができる、本当のことを言ってしまう。世間の常識(?)に対していらんことを言うてしまう。

(穂)素では云えないから、お笑いというフレームがあったり、詩や短歌という言語表現のなかだとちょっと許されるんですよね。ギャグとかに切り裂かれて、本当のリアリティが一瞬だけ見える。でもその合意点は一瞬で、また、もわーんと元に戻ってしまうんだけど。

■ 『さようならは小さい声で  松浦弥太郎エッセイ集』 清流出版 1300円+税 
暮しの手帖』編集長、「COWBOOKS」代表。本書は「すてきなひと」をテーマにしたエッセイ集。どの話も美しい恋愛小説のよう。
「あなた一人を、誰か一人を、想って書くこと。書くものすべてが、あなた一人に、誰か一人に宛てたラブレターでありたい。……」

「さよならは小さい声で」
 小学校時代の初恋。学童保育の先生。
 友だちと口ゲンカしてすねていた僕を、先生が見つけてくれてそばに座ってくれた。
 学童保育の時間が終わる。まだむくれている僕を、先生が抱いてくれて、「秘密のさようなら」をして帰ろうと言う。

「あのね、小さい声でさよならを言うの。秘密だから誰にも聴かれないように、ちっちゃい声でさよならを言うの」
……
 この日、僕は生まれてはじめて、人に恋すると胸が痛くなることを知った。九歳の時だった。
(大人になっても、僕は「さよなら」が苦手。相手への思いがあるほど言えない)
……そんな時、必ずT先生のことを思い出す。そして、「さよならは小さい声で」とつぶやく。さよならは小さい声で。


◇ うみふみ書店日記
 9月29日 日曜
 妻に100円玉をあちこちからかき集めてもらう。
 古書波止場さん、近所の「ジャパンブックス」さんも助けてくださった。
 ありがとうございます。
 ブログ最終日の原稿用意。

海文堂書店絵図」を見ている。
「海文堂ありがとう!! WE LOVE KAIBUNDO」の文字を発見。
 函入り(630円税込)は売り切れました。袋入り(525円税込)になります。 

 閉店放送の後、お客さんたちが店の前で「海文堂コール」、「ありがとう」の声援。シャッターが閉まるまでいてくださいました。こちらこそ感謝いたします。

 NR出版会「新刊重版情報」Vol.452の「書店員の仕事」に書かせてもらいました。
「本屋の灯」を消すにあたりまして  
 近々NRのHPにアップされると思います。 http://www006.upp.so-net.ne.jp/Nrs/top.html

 
 HP、ブログの契約は11月までだそうで、このまま続けてもいいのですが、区切りはどこかでつけないといけません。9月30日アップして一旦終了いたします。
 書きちらしてきました。ご覧くださった皆々様に心からお礼申し上げます。
 今後のことは未定ですが、ブログはどこかに居候させてもらえると思います。
 
 私は還暦のじいさんなので、松浦弥太郎さんのようにはいかない。
 普通の大きさの声で申し上げます。
 では、皆さん、さようなら。ありがとう。         海文堂書店 平野義昌