週刊 奥の院 6.6

■ 藤原辰史 『ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』 水声社 4000円+税 

 著者、1976年北海道生まれ、島根県育ち。京大人文研を経て、東大大学院農学生命科学研究科講師。農業思想史、農業技術史。
 本書は、ドイツを対象にした台所現代史。全450ページ、資料多数。
 カバーの写真はナチスの秘密兵器ではない。空襲後のある町の風景。  
 ナチスが、台所空間の設備を作ったという話ではなく、思想を各家庭の台所を通じて浸透させたという話。
 まず台所とは? 
 ヒトが良質な栄養を吸収するために、消化器官が栄養を取り込むシステムの延長に位置する、人間の身体の「派出所」。
 食を司るこの空間の存在は大きい。世界の貿易や経済問題、環境問題、エネルギーなど、国家の重要問題に直結する。

 

 非戦闘員を大量に巻き込む総力戦となった第一次大戦期に、約七十六万人の餓死者を出したドイツは、一九二〇年代の束の間の安定期を謳歌したあと、一九三〇年代にふたたび食糧不足に悩まされる。敗戦直後の飢餓を乗り切ったうえで。一九六〇年代、とりわけ旧西ドイツはふたたび飽食の時代を迎える。

 空間としての台所、1920年代に現代のシステムキッチンのモデルができている。労働改善・効率化・合理化の思想による。また家事も合理化され、家事用品や加工食品、栄養学、家政学などがヴァイマル時代に普及・発達した。それをナチスは継承した。
 ナチスのキッチンとは?
 台所空間にナチズムを浸透させること。国民の食習慣を変える。
1 食糧自給を達成するために各家庭の台所をコントロールする。牛・豚から羊・魚へ、バナナから国産リンゴへと啓蒙活動。最終的には主婦たちの戦争動員に成功した。
2 毎日の食事に細心の注意。
 身体は国家のもの! 健康は義務! 食は自分だけのものではない!
 栄養学、健康至上主義、レシピ工夫など。
3「主婦のヒエラルキー」形成。
 母親学校での家事トレーニング。競争を煽り、家事技術を向上させる。そして非社会的主婦の再教育施設=収容所送り。
4 家事労働を職人仕事ととらえ、主婦の自尊心と向上心を刺激する。
「無駄なくせ闘争」
5 残飯で豚を育てる――食糧生産援助事業

……ナチスの動員を読み解くにあたって重要なのは、「人」を埋め込む「空間」である……第三帝国がその軍国主義化を進めるうえで、もっとも小さな、しかし、もっとも重要な空間のひとつが台所だった。吸収(買いものコントロール)、消化(調理方法のコントロール)、排出(残飯のコントロール)が,「従わない犯罪者として告発する」「怠けると強制収容所に送る」という脅迫さえちらつかせながら制御されるなかで、「第二の性」でしかない主婦は、台所のアクターとなる。……機械的かつ能率的に働いて、家族全体の生命循環を促進させていく。いわば、滅私奉公である。

 著者はフランクルの『夜と霧』を再読して、強制収容所の囚人たちの食事のコストに気づく。彼らも「労働力」だった。もっとも安価な。
 企業の労働力として考えたときの囚人のコストの安さの秘密は、自分自身を食べることにあった(原文は傍点)、という単純な事実である。
 配給だけでは生命を維持できない囚人たちは、自分を食べるかのように体内に残っている脂質や筋肉組織を吸収していく。
 囚人たちは、自分たちの身体のなかに効率のよい、もっともコンパクトな台所を建設する。…… 
 現代社会を、著者は「地球全体がナチ化しているよう」と言う。日本の長時間労働者は栄養機能食品に頼り、豪華なマンションのキッチンは多忙なあまり使われない、汚したくないので火や油は使わない。
「食べること」が衰微している。
そして、飢餓人口は10億人を超える。
 

 いま、地球上を覆う資本主義というシステムの問題に尽きる。資本主義が、一本の長い槍のような右肩上がりの発展という物語を紡げたのは、その土台に持続的な循環システムがあったからである。

 私たちは「台所」を再生し、「食」を奪還しなければならない。まずは、家族一緒においしく食事するところから始めましょう。
(平野)