週刊 奥の院 8.16
平凡社、3日連続。
■ 『こころ Vol.2』 平凡社 800円+税
特集 岩谷時子の歌の世界
インタビュー 岩谷時子の魅惑 安部寧
エッセイ 眠たい少女たちが 落合恵子
岩谷時子の言葉が拓いた“戦後世代の青春” 田家秀樹
二つの「サン・トワ・マミー」が出会う場所 清岡智比古
私の好きな岩谷さんの歌「ラストダンスは私に」 上野千鶴子
「ウナ・セラ・ディ東京」 藤井淑禎
「月影のナポリ」 岡田温司
「逢いたくて逢いたくて」 姜信子
岩谷は1916(大正5)年朝鮮京城生まれ。母方の祖父が京畿道長官だった。神戸女学院を卒業、39年宝塚歌劇団出版部入社。戦後、48年、越路吹雪の東京進出に伴い上京、東宝文芸部。52年「愛の讃歌」(訳詞)発表。歌謡曲の作詞も手がける。64年「サン・トワ・マミー」(訳詞)発表。
上野さんの文章から。
越路吹雪が好きだった。抜群の歌唱力、迫力のある体格、媚びない女っぷり、そしてあの低めの声で「あなたの好きな人と……」と歌い出されると、ゾクゾクした。
……そもそも「ラストダンス」はシャンソンですらなかった。アメリカ生まれのドリフターズという黒人男性グループが歌う
“You Can Dance”が原曲だったとは。……
上野さんによる。
岩谷訳では、女ことば「あなたの好きな人と踊ってらしていいわ」。英語の「ユーキャンダンス」とでは、男女の立場が一転する。
女ことばにしたとたんに、すべてが変わる。……年増女の深情けを感じる。……命令でも許可のことばでもない。懇願と期待、うらみ節すれすれの恋情が、たったこれだけの表現のなかに圧縮されている。……
記憶がさだかではない。男性グループがこの歌を歌っていたのだが、最後の「どうぞ忘れないで」を、「父ちゃん、忘れないで」とコミカルに歌っていた。この歌だけでなく、「ローハイドー」でも小道具を使っていたように思う。グループ名を思い出せない。「リリオ〜」でしたっけ?
連載では、森まゆみさんの「『青鞜』の冒険」。『青鞜』創刊の場面。
「創刊の辞」は、間近に迫り「誰か書くべき」ということになって、「らいてう」が一晩で16ページを書き上げた。
森さんは、冒頭の「元始、女性は太陽だった」だけが有名だが、もっとも大事なのは最終行と言う。
「烈しく欲求することは事実を産む最も確実な真原因である」
(平野)