週刊 奥の院 6.9

■ 司修 『本の魔法』 白水社 2000円+税
 画家、装幀家、作家。本書の装幀も。
 これまで装幀を担当した15冊の本と作家について語る。
 萩原朔太郎が『自著の装幀について』で、自装した『定本青猫』成功は出版社が「気の毒なほど熱心に尽力して、僕の思ふ通りにこさへてくれた」と書いている。さらに、自装は楽しいことだが「仲々やつかいなことでもある」とも。
 司も、

 文学者の心配をひきうけてたくさんの装幀をやっているうちに、文学者からの「生き方」の影響を受け、造本力より、ぼくの人生の色彩を増やしたように思う。

 編集者が「気の毒なほど熱心に尽力」する姿を身近に見てきた。
 装幀の仕事は絵を続けるためのアルバイトだった。児童書の仕事も。小さな出版社(桃源社)が装幀の絵を買ってくれるようになる。そこの編集者(装幀者でもあった)から装幀の奥義を無言のうちに教えられる。

 彼の装幀した『黒魔術の手帖』『毒薬の手帖』(澁澤龍彦著)は今でも撫でさすったり、匂いを嗅いだりしている。本という存在は魔法である。タイトルの『本の魔法』とは、本を魔法にかけるのではなく、本の魔法にかかってしまったことである。

 カバージャケットに並ぶ司さんの作品。
古井由吉『杳子・妻隠』(1971年、河出)
武田泰淳『富士』(1971年、中央公論社
埴谷雄高全集』(1998〜2001年、講談社
島尾敏雄『硝子障子のシルエット』(1972年、創樹社)
中上健次『岬』(1976年、文藝春秋
江藤淳『なつかしい本の話』(1978年、新潮社)
 他、三島由紀夫、森敦、三浦哲郎、真壁仁、河合隼雄松谷みよ子網野善彦水上勉、小川国夫。作家・編集者たちとのつながり、制作中の身辺でのできごとを含め、数々のエピソードが語られる。
 中上との話。編集者と新宿の酒場に入ると、中上を真ん中に4,5人が飲んでいて、そこに加わる。中上が司に怒る。「オマエはおれの名前を間違えて書く癖がある。気をつけろこの野郎」。中上はビール瓶を振り上げたが、編集者・寺田博が納めてくれて、仲直りした。後日、寺田が中上の投げた瓶でケガをしたと聞いた。傷が治った頃、中上の新聞連載の挿し絵をしろと、連絡がある。打ち合わせで会った彼の頬には大きな傷跡があった。新宮に取材に行く。中上が案内してくれる。取材中、司は体調を崩して寝込んでしまう。中上が冷たいタオルを額にのせてくれた。

 東京にいる中上健次と新宮にいる中上健次は別人のようだった。いわば「仲間」だった。名前間違い絵かきを、丁重にあつかい、「路地」をしっかり案内してくれた。ビール瓶が飛ぶ気配はなかった。

 編集者も装幀家も命懸けだった。
(平野)ある人がこんなことを。http://www.hiyoko-g.com/archives/3428803.html ありがたく、うれしく、おそれおおく思うのでありますですますく……。何かご不満? いえいえそういうわけではありまおんせん。こちらに反応も。http://twitter.com/#!/cahier_books いろいろいっておくれでおぶらだ。突然ですが、月曜の「スマスマ」の西田さんのシャンソン風「与作」、真似できない。でもやりたい! 何か考えよう。