人文社会 『宮本常一離島論集』刊行開始

宮本


人文社会 『宮本常一離島論集』刊行開始
“みずのわ”すっごい頑張る!
 全国離島振興協議会・(財)日本離島センター周防大島文化交流センター監修
 『宮本常一離島論集 第一巻 「怒りの孤島」に生きる人々/農業のいろは』
 みずのわ出版 2800円+税
 “みずのわ柳原一徳”の悲願・宿願ともいうべき『宮本常一離島論集』全5巻+別巻2巻の刊行が始まった。1953年創刊の「季刊しま」に、宮本が最晩年まで執筆した論考をまとめる。構想ン10年。完結に何年かかるか? 完結できるのか? もつかあ?
 
 宮本は考える。島の文化が本土に比べて遅れていると思われるようになったのは、少なくとも明治中頃以後のことではないか? 江戸時代の陸上交通・海上交通だと、都会に近い所も遠い島も条件的には大して差はなかったのではないか? 
 たとえば、対馬の盆踊りで若者たちが芝居を披露する。それはほとんど歌舞伎のひとこまで、脚本も残っている。これは、伊勢参りに行くために、上方から来た船で大阪まで行き、陸路を歩き、帰りは船便があるまで宿に泊まって、道頓堀で芝居見物をするのが風習だったことによる。九州の山村でも同様の記録がある。
 また、本土より島のことばが分かりやすいという地域が多い。鹿児島のことばは分かりにくいが、島のことばはよく分かる。長崎でも出雲でも同じ。元は流人島で、中央から多くの人が流されてきたからという説もあるが、やはり海上交通の影響だろう。
 江戸初期、長崎の肥前五島に来た船は年に400隻を超える。秋田と山形の沖に浮かぶ飛島に大型船が年に300隻寄港した年がある。明治・大正と移り、汽車・汽船の時代になると、小さい村や島々は素通りされる。汽船なら風待ち・潮待ちの必要がない。
 島の後進性はぬぐい去ることができるか?
「島自体の力では困難ですが、私にはある程度までは可能だと思うのです。それは忘れられた社会から国民全体に意識せられる社会に立ち戻ることによって……。われわれは忘れてさえいなければ、その社会を進歩させるための努力をするものです。具体的な対策はその中から生まれて来ます」
離島振興の重要性と振興のための提言の数々。
目次
島の文化
1 島めぐり 伊豆七島 薩南十島 「怒りの孤島」に生きる人々他
2 農業講座 農業のいろは 牧畜 農業技術の改良他
3 局内放送 「しま」あとがき

(平野)



人文社会 『宮本常一離島論集』刊行開始
“みずのわ”すっごい頑張る!
 全国離島振興協議会・(財)日本離島センター周防大島文化交流センター監修
 『宮本常一離島論集 第一巻 「怒りの孤島」に生きる人々/農業のいろは』
 みずのわ出版 2800円+税
 “みずのわ柳原一徳”の悲願・宿願ともいうべき『宮本常一離島論集』全5巻+別巻2巻の刊行が始まった。1953年創刊の「季刊しま」に、宮本が最晩年まで執筆した論考をまとめる。構想ン10年。完結に何年かかるか? 完結できるのか? もつかあ?
 
 宮本は考える。島の文化が本土に比べて遅れていると思われるようになったのは、少なくとも明治中頃以後のことではないか? 江戸時代の陸上交通・海上交通だと、都会に近い所も遠い島も条件的には大して差はなかったのではないか? 
 たとえば、対馬の盆踊りで若者たちが芝居を披露する。それはほとんど歌舞伎のひとこまで、脚本も残っている。これは、伊勢参りに行くために、上方から来た船で大阪まで行き、陸路を歩き、帰りは船便があるまで宿に泊まって、道頓堀で芝居見物をするのが風習だったことによる。九州の山村でも同様の記録がある。
 また、本土より島のことばが分かりやすいという地域が多い。鹿児島のことばは分かりにくいが、島のことばはよく分かる。長崎でも出雲でも同じ。元は流人島で、中央から多くの人が流されてきたからという説もあるが、やはり海上交通の影響だろう。
 江戸初期、長崎の肥前五島に来た船は年に400隻を超える。秋田と山形の沖に浮かぶ飛島に大型船が年に300隻寄港した年がある。明治・大正と移り、汽車・汽船の時代になると、小さい村や島々は素通りされる。汽船なら風待ち・潮待ちの必要がない。
 島の後進性はぬぐい去ることができるか?
「島自体の力では困難ですが、私にはある程度までは可能だと思うのです。それは忘れられた社会から国民全体に意識せられる社会に立ち戻ることによって……。われわれは忘れてさえいなければ、その社会を進歩させるための努力をするものです。具体的な対策はその中から生まれて来ます」
離島振興の重要性と振興のための提言の数々。
目次
島の文化
1 島めぐり 伊豆七島 薩南十島 「怒りの孤島」に生きる人々他
2 農業講座 農業のいろは 牧畜 農業技術の改良他
3 局内放送 「しま」あとがき

(平野)