神戸の本

ハイカラ神戸幻視考


 ■『ハイカラ神戸幻視考 コスモポリタンと美少女の都へ』西秋生/神戸新聞総合出版センター 1800円+税
 またも、関西モダニズム本。
 「イナガキ・タルホも、谷崎潤一郎も、竹中郁も、江戸川乱歩も、中山岩太も、横溝正史も、小松益喜も、西東三鬼も、淀川長治も――みんな神戸を愛していた」
 かつて〈神戸モダニズム〉と呼べる文化が華開いて、日本を代表する「藝術家」たちがいた。開港以来、外国文化が流入し、エキゾチック・ハイカラと表現されるイメージが育まれていた。神戸経済は造船、海運、貿易で繁栄し、大阪は工業都市として国内最大の生産量を誇った。第一次世界大戦による好景気だ。 
 「経済的豊穣は文化的豊穣の基盤を形成する」。伝統的な上方文化とハイカラが融合して、関西に独特な文化が生まれた。なかでも、「神戸文化が日本中で突出して、ひときわ燦然とかがやいていた時代」であった。
 しかし、同時に「貧困」という重大な近代都市問題があった。1918年(大正7)米騒動、21年大労働争議が起きる。それでも経済は活発だった。
 「藝術家」たちは、「藝術上のモダニズム」=幻想的且つ美しい表現力で作品を創り上げ、一方、多くの市民が「生活上のモダニズム」=娯楽・飲食など舶来文化を取り入れた。
 著者は、神戸モダニズムの幕開けをイナガキ・タルホが「星を造る人」を発表した22年(大正11)10月、その終焉を谷崎『細雪』完結の41年(昭和16)4月――太平洋戦争開戦の年、とする。この時期、確かに関西が「日本のモダニズムを牽引していった」。
 都市ブランド戦略云々はどうでもいいのだけれど、「神戸らしさ」となると、やはり明るいハイカラ文化を前面に出すべきでしょう。自由で開放的で、差別やいじめのない町。最先端を走らなければ、モダニストの先輩たちに申し訳ない。
 著者も書いている。江戸時代、洗練された都市文化を発達させた日本が、明治以降は国家目標に邁進する貧相な国に成り下がった。そうした社会では藝術も痩せざるを得ない。「文壇における私小説に象徴されるとおり、深刻でせせこましくって、それでいて破滅的な歪んだ価値観が、ふつうに暮らしている市民とは別の所に閉鎖的に発達していったのである。神戸モダニズムはこれに敢然と挑戦」した。
(平野)



 ■『ハイカラ神戸幻視考 コスモポリタンと美少女の都へ』西秋生/神戸新聞総合出版センター 1800円+税
 またも、関西モダニズム本。
 「イナガキ・タルホも、谷崎潤一郎も、竹中郁も、江戸川乱歩も、中山岩太も、横溝正史も、小松益喜も、西東三鬼も、淀川長治も――みんな神戸を愛していた」
 かつて〈神戸モダニズム〉と呼べる文化が華開いて、日本を代表する「藝術家」たちがいた。開港以来、外国文化が流入し、エキゾチック・ハイカラと表現されるイメージが育まれていた。神戸経済は造船、海運、貿易で繁栄し、大阪は工業都市として国内最大の生産量を誇った。第一次世界大戦による好景気だ。 
 「経済的豊穣は文化的豊穣の基盤を形成する」。伝統的な上方文化とハイカラが融合して、関西に独特な文化が生まれた。なかでも、「神戸文化が日本中で突出して、ひときわ燦然とかがやいていた時代」であった。
 しかし、同時に「貧困」という重大な近代都市問題があった。1918年(大正7)米騒動、21年大労働争議が起きる。それでも経済は活発だった。
 「藝術家」たちは、「藝術上のモダニズム」=幻想的且つ美しい表現力で作品を創り上げ、一方、多くの市民が「生活上のモダニズム」=娯楽・飲食など舶来文化を取り入れた。
 著者は、神戸モダニズムの幕開けをイナガキ・タルホが「星を造る人」を発表した22年(大正11)10月、その終焉を谷崎『細雪』完結の41年(昭和16)4月――太平洋戦争開戦の年、とする。この時期、確かに関西が「日本のモダニズムを牽引していった」。
 都市ブランド戦略云々はどうでもいいのだけれど、「神戸らしさ」となると、やはり明るいハイカラ文化を前面に出すべきでしょう。自由で開放的で、差別やいじめのない町。最先端を走らなければ、モダニストの先輩たちに申し訳ない。
 著者も書いている。江戸時代、洗練された都市文化を発達させた日本が、明治以降は国家目標に邁進する貧相な国に成り下がった。そうした社会では藝術も痩せざるを得ない。「文壇における私小説に象徴されるとおり、深刻でせせこましくって、それでいて破滅的な歪んだ価値観が、ふつうに暮らしている市民とは別の所に閉鎖的に発達していったのである。神戸モダニズムはこれに敢然と挑戦」した。
(平野)