週刊 奥の院 9.14

■ 庄野至 『私の思い出ホテル』 編集工房ノア 1800円+税 
 庄野至、1929年(昭和3)大阪生まれ。庄野英二、潤三は兄。元・毎日放送プロデューサー。2006年『足立さんの古い革鞄』(ノア)で第23回織田作之助賞。
 本書は、「私の心の奥底に眠っていたホテルと病院や宿を背景にした小さな物語」の数々。
 ベルゲンの夜 …… ノルウェーの港町のホテル。夜中目覚めて思い出す過去の小さな出来事。
 ワッフルと山の中の病院 …… 仕事のストレスか、主治医が休んで静養せよと六甲の病院に入院させる。仲よくなった患者さんたちと、クリスマスイブに病院を抜け出してバアに行こうと計画。
 電話を待っている二人の男 …… 東京・神田のホテル。仕事上の連絡を待つがなかなか来ない。知り合った宿泊客も同じ立場。気が合い、呑み話し込む。客は二人だけかと思ったら、もう一人。
 全8篇。
 紹介するのは「太地・港ホテル」(1994年)。 
 兄・英二がテレビの仕事で和歌山に。長寿番組「真珠の小箱」(知っている人は……)。企画構成は足立巻一。至はデスク勤務で現場には出ないが、足立が、
「たまには現場に行きなはれ。兄弟で一泊旅行する機会など、年をとったら滅多にありませんで」
 と、粋なはからい。
 兄とは年が離れていて、至が小学生のころ既に戦地。

 戦争が終わってからは、英二は戦場での辛かったことは、ひとことも家族には話さなかった。そして、戦場ではめったになかった現地の子どもたちとの交流など、思い出しては私に話してくれていた。やがて英二は学生時代からの夢であった児童文学の創作に情熱を燃やすことになった。


 撮影は順調にすすみ、英二は岩に腰かけてスケッチ。足立がそばで覗いている。その場面もカメラは撮影。夜の食事は皆で楽しく過ごした。兄弟並んで寝る。

 夜中、私が目を覚ますと、隣の英二は軽い鼾をかきながら眠っていた。
 この兄は戦争に長いあいだ召集されて、やっと終戦で南方から復員してきたかと思うと、こんどは戦争中のある時期、ジャワ俘虜収容所の責任者としての勤務だったせいか、戦犯容疑で巣鴨プリズンに入ることになった。
 兄は、家族から手の届かないはるか彼方に送られていく。
(家は暗い空気)
 英二は、もちろん起訴されることもなく、すぐに釈放されて帰ってきたが、家族の中でいちばん戦争の苦しみを背負い引きずることになり、気の毒だった。
 そんなことを想いながら寝ている兄を見ていると、なかなか眠れなかった。

 英二は1993年(平成5)11月逝去。

……最期の別れのとき、
「英ちゃん」
 と呼びかけたかったが、声にならなかった。

(平野)
日記は明日。