週刊 奥の院 9.11

■ 小佐田定雄 『枝雀らくごの舞台裏』 ちくま新書 800円+税 
 
 著者は1952年大阪生まれ、落語作家。1977年まだ素人の時、枝雀に新作『幽霊(ゆうれん)の辻』を書いた。
 米朝一門を中心に新作や古典の復活、東京落語の上方化などを手がける。新作は200席超。

 その夜、私はなかなか眠りにつけなかった。ようやくうつらうつらしかけた時、突然、窓の外を激しく叩かれたような気がして飛び起きた。突然の暴風雨だった。秋ならば「野分」とでもいうのだろうが、春の夜のことである。窓枠をガタガタガタと鳴らした後、風は通り過ぎ、窓の外は静けさをとりもどした。時計を見ると一瞬思った。そのあと、私は再び眠りに落ちて行った。
 一九九九年四月十九日のことである。

 枝雀逝去。

第1章 持ちネタの変遷
第2章 枝雀精選48席――演題別につづる舞台裏噺
第3章 音と映像と文字

 
 小佐田定雄作『幽霊の辻』について。
 小佐田がまだサラリーマン時代、「落語は古典に限る」という思想。新作を「蛇蝎のように嫌っていた」。しかし、枝雀が77年2月からお寺を借りて新作発表の勉強会を始める。

「いったいどんなものができあがるのか?」という興味で第一回の公演に出かけて行った。そこで枝雀さんの『戻り井戸』という自作自演の噺を聞いた瞬間、「あ! こんな新作もあったんや!」と目からウロコと言いたいが目玉ごとゴトッと落ちてしまいそうになった。なにをそんなに驚いたのか? それまで、新作というと現代を舞台にしたもの……と勝手に思い込んでいたのだが、『戻り井戸』は現代でも昔でもない、時代のはっきりしない、強いていうなら「落語時代」を舞台にしていたのだ。
「これなら新作もいい!」


『戻り井戸』
 野井戸の底で目を覚ました男、通りかかった親子に助けてもらう。親子の家で酒をごちそうになる。機嫌よく酔い、田舎をほめ、酒をほめ、人情をほめ……。酔いが回ってくると一変。田舎を馬鹿にし、酒にケチをつけ、恩人である親子に悪口雑言。酒癖が悪い。寝てしまった男を親子はまた野井戸に放り込む。

 
 小佐田は毎月勉強会に通う。毎回新ネタ。しかし、

「……意欲はわかるのだが噺の筋が飛躍しすぎて聞き手を置いてきぼりにする傾向になってきた。その様子を客席のすみっこでながめていた私は、
「師匠がやりたいことって、ほんまはこんなこととちがいますか?」と確認するため、
「向かおうとしている方向が正しいと思っている人間がここにもいてまっせ」というエールを送る意味で原稿用紙十枚ほどに書いた台本をご自宅に郵送した。……

 枝雀から電話(めったに自分ではしない人)。ぜひ演じさせてほしい、一度会って話がしたい……。
 7月3日、『幽霊の辻』が枝雀によって演じられた。

「もっと書けまへんか? 書けるはずや。いや、書けるにちがいない。……私に新作をこしられる才能はないことがわかりました。……演じるほうに集中しようと思います」


『幽霊の辻』あらすじ。
 急ぎの手紙を託された男、峠の茶屋の婆さんに通り道の目印とそれにまつわる怪談を教えてもらう。
日暮れの道を歩いていると、「幽霊の辻」と教えられた場所で若い女が姿をあらわす。男は仰天、
「わしゃおまえのこと幽霊やと思うたがな」
女は、
「ほたら、わてのこと幽霊やないと思うてはんのん?」
女の姿がふっ……と消えた。


◇ うみふみ書店日記
 9月10日 火曜
 出勤途中、喫茶店のマスターに声をかけられる。
「もうすぐやね」
 優しい声に、はからずも絶句してしまう。
 あの日、途中下車して【海】のシャッターを叩いて泣き叫んだMさん(元町をうろついたのは事実ですが、あとは平野の妄想)、今日は普通に来店。
 バイト君OBも訪ねてくれる。
 前の本屋から知り合いのお客さん、「二度目やな」と気の毒がってくれる。
 時々覗いてくれる同級生も。「あんたは打たれ強いから」。そう、S体質。意味ちがう!?
「ここで仕事の本買うて、勉強したんや」、船の修繕をしてはったというご老体。小柄ながら腕の筋肉と大きな手がその経歴を物語っている。
 相変わらず電話営業あり。「月末で閉店」と言うとあっさり切りはる。


(平野)
 お知らせです。
 2Fの「港町グッズ」(雑貨、文具、絵葉書など)の販売は23日をもって終了いたします。
9月13日、訂正します。最終日まで販売します。よろしくお願いします。