週刊 奥の院 8.26

■ 織田作之助 昭和を駆け抜けた伝説の文士“オダサク”』 河出書房新社 1900円+税 
 生誕100年。
1 織田作之助からの伝言
2 夫婦善哉の世界
3 三十三年と七十六日間の軌跡 前編  織田作之助の生涯と作品
4 織田作之助が語る大阪・文学・女性
5 三十三年と七十六日間の軌跡 後編  織田作之助の生涯と作品

 織田作之助(1913年10月26日生まれ、1947年1月10日没)、創作活動は7年。
 太宰治坂口安吾と「無頼派座談会」(昭和21年11月25日)、『改造』主催だが、『改造』には掲載されなかった。
「歓楽極まりて哀情多し」

(坂口)……この間、織田君がちょっと言ったんで聞いたんだけれど、小股のきれあがった女というのは何ものであるか、そのきれあがっているとは如何なることであるが……
(大宰)それは井伏さんの随筆にあってね。ある人に聞いたら、そいつはこれだ、アキレス腱だ。
……
(織田)ぼくは、背の低い女には小股というものはない、背の高い女は小股というものを有っていると思うのだ。
(坂口)しかし、小股というのはどこにあるのだ?
(大宰)アキレス腱さ。
(坂口)どうも文士が小股を知らんというのはちょっと恥かしいな。……
(浅田)小股がきれあがったというけれども、名詞ではないのだ。形容詞なんだ。

 話題は、エロス、いなせな男、女性を口説く……。
(織)「画が解らない」。(太)「文学が解らぬ。女が解らぬ」。(坂)「なにもわからぬ」。(太)「三人はみなお人好しじゃないか……」
 対談の9日後、織田は大量の喀血、絶対安静となる。
 太宰の追悼文。

 死ぬ気でものを書きとばしている男。それは、いまのこの時代に、もっともっとたくさんあって当然のように私には感ぜられるのだが、しかし、案外、見当たらない。いよいよくだらない世の中である。世のおとなたちは、織田君の死に就いて、自重が足りなかったとか何とか、したり顔の批判を与えるかもしれないが、そんな恥知らずの事はもう言うな!
[……]織田君、君は、よくやった。

 カバーの写真は、対談の日、銀座のバールパンで、林忠彦撮影。

◇ うみふみ書店日記
8月25日 日曜
 久々の大雨。多少のお湿りならいいのだが、電車ダイヤがズタズタ。
 私よりずっとずっと古くから【海】をご存知のお客さん、「さみしいわあ、かなしいわあ」。
 昨日は『本屋図鑑』に「住所印を押してください」とご要望の方。既に回られた本屋の印がありました。
今日は「番線印と日付とサイン」を求める方。お主、業界人か?
 我ながらビックリ。『眼』が5冊も売れた。
 先日紹介した“特殊メイキャップアーチスト”、樽職人ご夫妻と来店。記念写真。
 顧客Hさんから「閉店」を心配してくださって自宅に電話。前の職場からのお客さん。

「朝日」書評欄の「扉」(大上朝美)

(移り住んだ町で地域の中核だった老舗書店がなくなってきた)......
 神戸・元町にある海文堂書店も、来年の100周年を前に9月末で閉店するとか。そこで買うのがうれしくなるような海の本が充実し、名前の通り明るく開かれた雰囲気の店でした。寂しいです。

 ありがとうございます。

(平野)