週刊 奥の院 8.14

■ 畑中章宏 『ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか  新美南吉の小さな世界』 晶文社 1700円+税 
 http://www.nankichi.gr.jp/
 著者は多摩美大芸術人類学研究所特別研究員。著書、『災害と妖怪』(亜紀書房)、『柳田国男今和次郎』(平凡社新書)他。
 新美南吉(本名・正八、1913〜1943)、愛知県知多郡半田町(現在半田市)出身。
 若くして才能を発揮しながら、29歳で夭逝した童話作家新美南吉。代表作「ごん狐」は、50年以上にわたって小学4年生の国語教科書に採用され、読み継がれているが、その今日的な視点については見過ごされてきた。……(カバー袖の紹介文)
 コミュニティ、生態系、自然との共生、民俗知の継承など、多くの示唆を与えている。
目次
はじめに
1 狐のフォークロア  2 文明開化とノスタルジア  3 共同体の記憶  4 不確かな世界  5 最も弱いもの
あとがき
「はじめに」より。

 新美南吉は、日本の最も困難な時代に生きた作家であった。
 南吉の代表作「ごん狐」が、鈴木三重吉主宰の雑誌『赤い鳥』に掲載されたのは満州事変が勃発した一九三一年(昭和六年)のことであった。南吉の創作活動が最も旺盛だった時期は、死に至る前の約一年間、日本が太平洋戦争を戦っていた一九四二年と一九四三年のことである。新美南吉が作家活動を展開した時代は十五年戦争の期間にすっぽりおさまるのである。

 ごんは若い村人・兵十の取ったうなぎを奪う。兵十の母親の葬式を見て、うなぎは母親のためのものだとわかり後悔。お詫びに「いわし売り」のいわしを盗んで兵十に届けるが、彼が泥棒と思われる。ごん「しまった」と、くりや松たけを届ける。兵十の友が「神様のしわざ」と言う。ごんがまたやって来た。兵十はいたずら狐だと思って火なわ銃を撃ってしまう。
「おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは」

「ごん狐」には民具や村の信仰や風俗が描かれている。知多半島の地理地形も。著者は「ごん狐」に初期稿があることを知る。
 三重吉が初期稿に手を加えて『赤い鳥』に掲載した。初期稿には猟師しか知らない狐の生態が書かれている。元猟師・茂助爺が子どもたちに語って聞かせた話という体裁。
 南吉の故郷では「狐は人間にとって身近な動物」で、現在も出没している。また、稲荷神の使いであり、象徴という面もある。

……
「害獣」「霊獣」がいることは、村人たちの共通認識であるものの、狐は一瞬だけ姿を現し、すぐに姿を消してしまう。そのしなやかな肢体のせいもあって、村人は狐を「妖精」や「精霊」に近い存在として、捉えていたのであろう。つまり狐は、村里の日常空間から異空間に、あっという間に跳び去ってしまう存在なのだ。……

(平野)
 ジミッチー夫妻、悪いおじさんたちと呑んでしまって、日記は明日。