週刊 奥の院 7.31

 みずのわ出版から新刊2点。 http://www.mizunowa.com/
■ 『神戸市戦災焼失区域図 復刻版』 2000円+税
 1946(昭和21)年6月、日本地図株式会社刊「神戸市戦災焼失区域図」(382×1080mm、縮尺1/2万)を復刊。米軍の空襲によって焼失した地域が赤く塗られている。

……
 近代以降、1945年の空襲と1995年の阪神淡路大震災で二度にわたって灰燼に帰した旧六大都市・神戸の、昭和戦中期の街区、町名を今に伝える貴重な資料でもあります。
 この夏、わが国は戦後68年を迎えます。戦時下を生きぬいた世代が次々と世を去り、記憶の風化が進むなかにあって、いま、非戦を誓った日本国憲法が改定の危機に直面しています。平和憲法を守るとともに、都市に刻まれた戦争の記憶を掘り起こし次代に伝えるために、この復刻地図をご活用いただきたいと思います。

みずのわ出版」は足掛け15年神戸で出版活動を続けたが、一昨年9月に故郷・山口県周防大島に帰った。この地図は、神戸でやり残した仕事のひとつ。
 原本は貴重すぎて滅多に古書市場にも出回らないそうで、一般市民の目に触れる機会はない。柳原社主が広島の古本屋さんから「あなたが復刻すべき」と託された。



■ 那須圭子 写真・文 『My Private Fukushima 報道写真家 福島菊次郎とゆく』 3300円+税
 那須は1960年東京生まれ、フォトジャーナリスト、山口県在住。上関原発問題に出会い、福島からバトンタッチされる形で、原発反対運動の撮影を始める。
 福島は1921年生まれ(当時90歳)、瀬戸内の小さな町で愛犬と暮らす。聴力はとっくに失い、視力も衰え、写真など何年も撮っていない。カメラは埃をかぶり、足もともおぼつかない。

……
 しかし、あの日からテレビにかじりついてフクシマを見守った。
 ヒロシマと同じことが、また繰り返されようとしている。アジア侵攻の拠点であった軍都ヒロシマは、ひとたび原爆が落とされると都合の悪いことはすべてひた隠して、その日から被害者となった。……

 那須原発建設反対運動をしている祝島の人たちを撮影してきた。彼らを孤立させてきたのは、電力会社や国だけではなく、彼らの運動を見て見ぬふりをしてきた大勢の、おそらくは善良な、ごく普通の人たちでは……、と感じる。もし、原発ができ、事故が起きたら、推進してきた人たちはきっと言う。
「だまされていました」
 その他おおぜいの人たちは、
「国が悪い、中電が悪い、原発反対!」
 那須自身、山口に来るまでそうだった。

……
 フクシマへ行きたい。
 福島さんと私の中で、その思いが日増しにふくらんでいった。


 本書は、映画「ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳」の撮影によって実現。那須がスチール写真を担当。2011年秋、那須は福島に同行して2日間フクシマを取材した。
http://bitters.co.jp/nipponnouso/

……半年も経って、たった2日間で、いったい何ができるのか……

 それぞれ胸に使えた違和感を抱えての旅。
 フクシマに着いて、通行人に道を尋ねた時の写真がある。

……やっと出会った親子連れに道をたずねると、父親は愛想よく答えてくれたが、こどもは帽子とマスクの間から、わたしたちの正体を見定めようとしていた。

 福島はカメラを構えると、驚くほど敏捷になるが、いったん地べたに膝をつくとなかなか立ち上がれない。
 小高い丘と見えたものはガレキの山に草が生い茂ったもの。流されてきた墓石の山がある。熱と臭いを発する金属の津波のような山もある。
 酪農家を訪ねる。まだ育てているところもあれば、処分したところもある。牛舎の中でクモの巣が存在感を増す。
 福島はリーダーに詰め寄った。
原発で巨額の金を手にしたはず、それを言ってから被害を訴えなければ……」
 言って、すぐに後悔した。「時期尚早だった」と。
 
 フクシマから東京の脱原発集会。

 僕が知ってるデモっていうのはね、血を流すデモなの。だけど今日のデモはさ、なんだかやけに楽しそうじゃない。

 撮影中座り込んで立てなくなった。若い警察官が「おじいちゃん、大丈夫ですか」と近づいて来た。


「それぞれのフクシマ」
 那須、福島、それぞれの違和感。答えは見つけられない。フクシマの被害は想像を超えるもの。何かを問うには「時期尚早」だったのかもしれない、と思う。しかし、福島がヒロシマを知ってしまったように、那須祝島を知ってしまった。

それならば、知ってしまった責任がある。

 福島が厳しい言葉を投げた酪農家は、世界をまわってフクシマの現実を語り歩いている。フクシマで再スタートの汗を流す人もいる。

それぞれのフクシマは、今始まったばかりだ。


(平野)