週刊 奥の院 7.13

■ 長田弘 『奇跡――ミラクル』 みすず書房 1800円+税 
 奇跡――ミラク
庭の小さな白梅のつぼみが
ゆっくりと静かにふくらむと、
日の光が春の影をやどしはじめる。
冬のあいだじゅうずっと、
緑濃い葉のあいだに鮮やかにぼつぼつと咲きついできたのは
真っ白なカンツバキだったが、
不意に、終日、春一番
カンツバキの花弁をぜんぶ、
きれいに散らしていった。
……
(翌朝ボケの赤い花が枝の先々までひろがる。空が天の湖水のように晴れたらすぐに春の彼岸。ハンモクレンが握り拳をパッとほどいたようにいっせいに咲く)
ただここに在るだけで、
じぶんのすべてを、損なうことなく、
誇ることなく、みずから
みごとに生きられるということの
なんという、花の木たちの奇跡、
きみはまず風景を慈しめよ。
すべては、これからだ。


「あとがき」より。

 ふと、呼びかけられたように感じて、立ちどまる。見まわしても、誰もいない。ただ、じぶんを呼びとめる小さな声が、どこからか聴こえて、しばらくその声に耳を澄ますということが、いつのころからか頻繁に生じるようになった。
(風、空、花、木……遠い記憶のなかの人の声……)
「奇跡」というのは、めったにない稀有な出来事というのはちがうと思う。それは、存在していないものでさえじつはすべて存在しているのだという感じ方をうながすような、心の働きの端緒、いとぐちとなるもののことだと、わたしには思える。
 日々にごくありふれた、むしろささやかな光景のなかに、わたし(たち)にとっての、取り換えようのない人生の本質はひそんでいる。それが、物言わぬものらの声が、わたしにおしえてくれた「奇跡」の定義だ。
 たとえば、小さな微笑みは「奇跡」である。……


 30篇の詩を彩るカバーの絵は、ロッソ・フィオレンティーノ「Angelo Musiante」(奏楽の智天使、1520年、フィレンツェウフィツィ美術館)。
 長田は「音のない音楽を添えてくれた」と、編集者に感謝する。
 09年妻を亡くし、11年東日本大震災で故郷が大きな被害を受け、自身も大手術。
 小さな微笑みは「奇跡」である。

(平野)