週刊 奥の院 6.28

 今週のもっと奥まで〜
■ 千早茜 『あとかた』 新潮社 1400円+税 
 08年『魚神(いおがみ)』(集英社)で小説すばる新人賞。09年同作品で泉鏡花賞
 本書は「あがき続ける男と女の痛くて優しい物語」連作集。
「ほむら」より。
「私」には5年同棲している彼氏がいる。もうすぐ結婚することになっている。会社の近くでひとり飲んでいると「知人」に声をかけられた。ずいぶん年上の「男」が一緒で、3人で世間話。「知人」がトイレに立つ。「男」が呟いた。

……
「こちらには来たばかりで……よければ、いろいろ教えてもらえたら助かります」
「お時間が合えば案内しましょうか」
 我ながら感心するくらい儀礼的な笑みを返した。
 テラス席から夜気を含んだ重い風が流れこんできた。カーディガンを羽織ろうとしたはずみに肘がグラスに軽くあたった。
「おっと」と、男が身を乗りだしてグラスを摑んだ。アルコールであたたまった肌の匂いが押し寄せて、身体が触れた。私より熱い身体だった。あ、と思った。
 どこに触れたのか見定める間もなく、男は元の姿勢に戻っていた。……
(「知人」は「男」に近づくなと忠告、いいかげんで得体がしれないと。「私」は「知人」が疎ましく、「男」と会う約束をする)
……二人きりで会うと、男はあやうげだった。初対面ではわからなかったが、年端もいかない子どもめいた無邪気さがあった。ふらふら危なっかしく見えて、手を伸ばすとすっと懐に潜り込んできそうな、どこか空恐ろしい感じがした。
(結婚のことを話すと、自分も転勤になるかもしれませんと)
 男はコーヒーカップを口に運びながら穏やかにいった。転勤と結婚は違う、と思ったが黙ってカプチーノの泡を混ぜた。
「同じですよ。先のことはどうなるかわからないという点では全て同じです。それより……止められたのにどうして会ってくれたのかが僕は気になりますね」
(逢瀬が重なる)
「婚約者がいるのにこういうことをしている私を軽蔑する?」
 ふいを装って、わざと明るい調子で訊いた。
「軽蔑するも何も僕が誘っていますから」
いつも男はそう言った。優しく礼儀正しいけれど冷たい。
「どうしてずっと敬語なんですが? 私、ずっと下なのに」
「このままでいましょう。その方がなんだか、いい」
「実体がなくて?」
 男は首を傾げる。
「地に足がついていないとはよく言われますけど」
「少し、違う」
 男はふうん、というようなくぐもった音を鼻の奥でたてた。別に誰にどう思われようが意に介さないという空気がいつも男のまわりにはある。時々、それが気にさわった。私がある日突然消えても男はどうも思わないのだろうな、と思うと小憎らしくなるのだった。自分だとて、男がいなくなろうが困りはしないくせにそれを棚にあげて、一瞬、憤る。けれど、すぐに飲み込む。飲み込んだことを意識すると想いが澱のように少しずつ溜まって行く気がするので、息がかかるほど近く男に寄り添う。
「そういうあなたもないですよ、実体」
 男は笑いを含んだ声で呟いて、すぐに唇を寄せてきた。太い舌が口を塞ぐ。この会話ですら戯れの一環なのですよ、とでもいうように。……

 二人で関西に旅行。激しい行為で「男」の身体に「私」の手形が「痣」になって残っていると言う。「私」が発した「言葉」と「痣」をもらっておくと。
 その後連絡が途絶え、「知人」から電話。「男」が死んだ。重い病だったらしい。

 私の残したあの痣は消えてしまったのだろうか。それとも、男の白い身体に残されたまま焼かれてしまったのだろうか。
 私たちの火は結局何も遺しはしなかった。何かをかたちづくることも、生み出すこともなかった。それでも、あの日、男は満足そうだった。そして、私も得たものがあった。……

うみふみ書店日記 その26
 6月20日 木曜
 休み。台風がまた来た。
 本日は快調に「奥」も「ブログ」も。

 6月21日 金曜
 台風は熱低に。
「読売」の取材。店長応対。

 6月22日 土曜
「朝日」の“ひと”欄。松本清張賞受賞者・山口恵以子『月下上海』(文藝春秋)。高校生の時は漫画家を志望して挫折。大学卒業後、就職した会社倒産。派遣で働きながらシナリオ学校、ドラマのプロット作成多数。挫折。新聞事業団の食堂に就職して、小説執筆。07年作家デビュー。
「仕事が安定して周囲を見渡す余裕ができた。この仕事をしていなければ、決断はしていなかった」
 おめでとうございます。

 郄田郁『残月』(ハルキ文庫)をじっくり。前の巻で重要人物が死んでしまって、多くの読者が悲しんだ。でもね、彼は死んでも作品の中で今も重要な位置にある。
 郄田さんがサインに来てくださったときに「プロポーズの言葉がなんのかんの〜」と呟き始めたので、みんなで押さえつけて口に猿ぐつわをかましたのだが、これやったんか〜というお話も。
 しっかし、口の軽い作家でんなあ!
 
 6月23日 日曜
「朝日」“声”欄、「都心でも町おこしが必要だ」(東京Yさん)。
30年以上続いた近所の本屋さんが閉店。駅近くで夜遅くまで営業して、町の顔。子供を見守ってくれる存在でもあった。昔からの店が次々閉店している。大手スーパーやパチンコ店に代わる。商店街が衰退していく。
「町おこしは何も地方だけの問題ではない。都心でも真剣に議論を重ねる必要がある……」

 休みで、カキモノが進むこと。
 
 6月24日 月曜
 ちんき堂さん納品。「篠山」のかわいこちゃん写真集がたくさん。パックされている本のジャケット見つめながら、エエ歳のおっさん二人(店長&私)がキャッキャ言うてます。はい、おっさん、アホです。

 6月25日 火曜
 いつもネタ提供のスタッフ某、今日は制服のスカートとは違うロング。どうした? 忘れたのか? と思ったけど、こっちから尋ねるとまた怒られるので黙っていたら、膝小僧にケガと自分から。

 6月26日 水曜
 ブログ読者Q氏からメール。私のことを”昭和のスケベ男”とほめて(?)くださる。
で、本題は、月曜朝礼で紹介『月下上海』の著者、「食堂のおばちゃん〜」のこと。「おばちゃん」呼ばわりは失礼ではないか、についてです。
Q氏は「おばちゃん」は蔑称ではない、いまの世の中「おばちゃんが主役」とおっしゃいます。
Q氏はきっと「女性」の能力を大いに評価する立場であります。そのことについて、私も同様です。しかし、われわれが敬意を込めて「おばちゃん」と発言しても、相手がどう取るかです。著者は自分の職業に誇りを持っているでしょうし、この仕事に就いたからこそ作家修業できたのでしょう。彼女は「おばちゃん」と呼ばれることに頓着しないのかもしれません。これは私の推量で、ご本人は、ひょっとしたらメディアの紹介は「言い過ぎ」と思ってはるかもしれません。これも推量。
女性は、この言葉に対して敏感です。たとえ「ほめ言葉」であっても、他人のことであってもです。
わが妻は、事実、「大阪のおばちゃん」で「学生食堂のおばちゃん」です。自分で自分のことをそう言います。食堂で、愛嬌のある学生君が「おばちゃん」と言ってきても上機嫌ですが、ツンとした女子や一般客のおっさんに言われると怒ります。
私に職場の話をするとき、妻は先輩のことを尊敬を込めて「おばちゃん」と呼びます。彼女たちが頼りになるからです。もちろん職場で彼女たちに向かって「おばちゃん」とは言いません。
私も職場で同僚に向かって「おばちゃん」と呼ぶことはありません。
不特定に対する「大阪のおばちゃん」や「おばさんパワー」は許されると思います(あくまでも私が思うことです)。芸人さんが「おばちゃん話」をする時、聞いている女性方は多分自分のこととは思っておられないはずです。
特定の女性に向かって言う場合、また女性の前で他の女性のことを言う場合、この言葉の使用にはかなりの心くばりが必要です。

 開店してすぐにGF・Iさんが来店。といっても店内には入らず、おみやげだけ置いて大阪に。多忙なスケジュールをぬってくださって、感謝感激。私にはあげられるものがないので、せっせと「奥の院」を送ろう。

◇ 先週のベストセラー
1.百田尚樹  海賊と呼ばれた男(下) 講談社
2.  同上          (上)
3.近藤誠   医者に殺されない47の心得  アスコム
4.藤田伸二  騎手の一分  講談社現代新書     
5.谷川俊太郎  こころ  朝日新聞出版
6.林真理子  野心のすすめ  講談社現代新書
7.幸田真音  天佑なり (下) 角川書店
8.  同上       (上)      
9.岡野雄一  ペコロスの母に会いに行く  西日本新聞社     
10.       神戸ルール  中経出版

(平野)
NR出版会HP「書店員の仕事 特別編 震災から二年をむかえて5」 
福島市みどり書房福島南店・岡田さん「震災とともに歩む」
http://www006.upp.so-net.ne.jp/Nrs/memorensai_35.html