月末水曜2F朝礼 & 週刊 奥の院 6.27

◇ ポストカード新製品
■ 『野上隼夫が描く 想いでの豪華客船』 10枚セット 1050円(税込) 制作・販売 シーズプランニング
 海洋画家、ハヤカワ文庫の「ホライソー」シリーズのカバー、海人社から画集(現在品切)など。作品は日本郵船歴史博物館に展示されている。
 最初に描いたのは、昭和28年、勤務先の造船会社の社内展に出品した「クリスチーナ」(タンカー)。
「船に魅せられて」

……昔、内外の大手船会社では、専属の画家に所属船の画を描かせてポスターを作っていたと聞きます。最近ではそのようなこともなく、これからも望めそうにありません。海国日本でも、船に対する一般の関心は低く、船好きの者にとっては残念なことです。
 ともあれ、逆光にきらきら輝く海の美しさ、白波を蹴立てて航走する船の美しさに魅了された私は、これからも船の絵を描き続けたいと念じています。

 ジャケットに使われているのは「八幡丸 YAWATA MARU (日本郵船1940−1944)」。
 太平洋戦争直前に欧州航路用に建造された客船。戦争中に空母に改造された。44年9月、アメリカ潜水艦の攻撃で沈没。多くの船が同様の運命をたどった。 
  















◇ 奥の院
■ 文藝別冊『 増補新版 淀川長治 カムバック、映画の語り部 』 河出書房新社 1200円+税 
 初版は99年3月刊。
 淀川長治(1909〜98)、神戸兵庫の料亭・芸者置屋の家に生まれた。
 母親が産気づいたのが映画館だったとか、1歳の時から父母に連れられ映画館に通っていたとか、幼稚園の帰りに爺やとこっそり映画館に入ったとか、小2くらいで初めて一人で見に入った時はおちおち見ておられなかったとか、幼少時の映画のエピソードはいっぱいある。
 中学生になると映画雑誌に投稿する一方、童話雑誌にも童謡詩を投稿、常連入選者だった。

「雨のとうざい屋」
雨のしょぼしょぼふる中を、ぬれた赤い旗をもったとうざい屋がとおる。たいこの音も鐘の音も、みーんな淋しい。(『童話』大正・5月号) 

あつち見たこつち見たひよいととんだせわしい雀 (『金の星』昭和2・12月号)

 とうざいや=ちんどん屋 

 今回増補分は、
○ 淀川長治インタビュー」 聞き手・蓮實重彦 「映画のために僕はおしゃべりをした」(『シネクラブの時代』フィルムアート社 1990年)
○ 対談 ×爆笑問題 「チャップリンみたいな立派な喜劇人になりなさい」(『広告批評』98・9月号)

「インタビュー」より。
「……僕は人の前でしゃべるのが嫌いだった。大体映画が好きになったのも恥ずかしがりから始まったの」
 
 暗い戸棚の奥にこもって、小さな釘穴を通して外の景色が壁に逆さまにきれいに映っているのを見ていた。それが面白かった。
 幼稚園でも小学校でもしゃべるのが下手、恥ずかしくて何も言えない。高学年になって皆の前でしゃべらされて、笑われて、一生しゃべらないと思った。
 就職して(ユナイテッド・アーチスツ宣伝部)、神戸の劇場で映画の前に別の人が講演する。観客が「馬鹿野郎、やめろ、映画を映せ」。話をやめさせられた。
 翌日、自分がしゃべると登壇したが、あがってしまって何をしゃべったのかわからない。また絶対しゃべらないと思った。

「けど、映画が皆に馬鹿よばわりされていいのか思って考え直したのね。本を読む人は本が好きだから読む。劇場へ来る人も映画が好きで来るのだろうから、そんな人たちに話をするのが自分の本当の仕事と思ったのね。映画というものが僕にしゃべる力を与えてくれたというと大袈裟だけど、やっぱり映画が原因で人前で話ができるようになった。だから、人に映画を伝えるということがなかったら、僕は講演なんか一生しなかったね。……」

(平野)