週刊 奥の院 6.8

■ 齋藤愼爾 『周五郎伝 虚空巡礼』 白水社 3400円+税 
 
 著者は俳人深夜叢書社主宰。『ひばり伝 蒼穹流謫』『寂聴伝 良夜玲瓏』など著書多数。山本周五郎本では『春いくたび』『美少女一番乗り』(角川文庫)編集。



 学恩という言葉がある。手元の辞書を引くと、「師と仰ぐ人から受けた学問上の恩」とある。書物を読んで、魂を根柢から揺るがされ、決定的な転位を予感したということで、私にとって山本周五郎の作品こそが、学恩の意味するものに最もふさわしい気がしてならない。

 学生運動挫折、人間関係……、進退窮まっていたときに周五郎作品に出会う。

 周五郎を読むことで、私は救われたのである。……周五郎の小説の主人公は、一回限りの人生を懸命に生きていた。虚飾で人の眼をくらませたり、自分を偽ったりすることなく、忍耐しながら、この人の世でそれぞれの確かな役割を果たしている。……そんな主人公の運命に、私は無為の自分を重ね、一掬の慰藉というか、得心するものを覚えたのであった。

 山本周五郎(1903〜67)、山梨県北都留郡(現・大月市)生まれ、本名清水三十六(さとむ)。文壇デビューは26年、「文藝春秋」に『須磨寺附近』発表。
 齋藤は、周五郎についての評論・随想を紹介する。
 木村久邇典は太宰に師事し、周五郎の作品集を編集し評伝を書いた。敗戦後、周五郎が太宰に会いたがっていたことを書いている(『人間 山本周五郎』)。
太宰治論』を書いた奥野健男は、「太宰の読者と周五郎のそれは重なり合っている」と指摘する。両者とも、弱く貧しい失意の人へ熱い眼差しを向けて、無類の小説世界を創りあげ、読む者のこころを洗い、人間に対する深い愛情を信頼を甦らせてくれる、と。
 
1.故郷と現郷  2.二人の恩人  3.三十六少年の夢と失意  4.初恋の虚と実  5.関東大震災と周五郎 6.須磨寺での女性開眼 ……16.『青べか物語』の浦安  17.他者の発見  18.晩年の周五郎  19.虚空巡礼  20.終焉
略年譜、参考文献、人名索引含め560ページ。
装幀、郄林昭太。
 
 書名は周五郎が若き日愛読した本の言葉から。貧困、病、失恋、失職……。

 山本周五郎は昭和四十二年六十三歳で斃れるまで、『山本周五郎小説全集』(三十三巻+別巻五、新潮社)、『山本周五郎全集』(全三十巻、新潮社)と全集未収録作品集十七巻に収められるだけの小説を書いてきた。「現代の聖書を描く」と取りかかった『おごそかな渇き』を新聞日曜版に八回まで書き継いだ時点で絶筆となった。周五郎はアドレッセンス初葉に熱中したストリンドベリィの『青巻』の巻末の箴言を生涯の座右の銘とした。
〈苦しみ働け、常に苦しみつつ常に希望を抱け、永久の定住を望むな、此の世は巡礼である〉
 その生涯は虚空巡礼であり、その作品はすべて虚空への投擲であった。

青べか物語』(60年発表、28年千葉浦安に住まいを移した頃の話。苦難の時代)で、主人公が『青巻』を読んでいる。
『虚空遍歴』(1961〜63)という作品がある。旗本の息子でありながら芸の道で生きる中藤冲也の生涯と、彼を愛し支える芸者おけいの物語。
 
 周五郎は1943年第17回直木賞(『小説日本婦道記』)を辞退。61年にも『青べか物語』の文藝春秋読者賞辞退。文壇づきあいもしなかった。その周五郎の名が冠せられた「賞」がある。
 
 今月、新潮社から『山本周五郎長篇小説全集』(全26巻)の刊行が始まる。

(平野)
 雑誌ダ・ヴィンチ』7月号メディアファクトリー、562円+税)、特集「2013上半期 BOOK OF THE YEAR」。「震災と出版」で東日本大震災を被災地から読む――在仙編集者による震災関連本50選――」を取り上げてくださる。仙台の編集者が対談。それはとてもいいことなのだが、ブックフェアの写真にワテのアホ面が映っている。