週刊 奥の院 5.22

■ 堀口大學 訳 『訳詩集 月下の一群』 岩波文庫 1200円+税 




「序」より。

 最近十年間の私の訳詩の稿からほぼその一半に相当する仏蘭西近代の詩人六十六家の長短の作品三百四十篇を選んでこの集を作つた。
 最初私はこの集を見本帖と云ふ表題で世に問ふつもりであった。と云ふ理由(わけ)は、たまたま此集が仏蘭西近代詩の好箇の見本帖であつたからである。即ち仏国に於ける近代詩の黎明とも云ふ可き、ボオドレエルから、ヴエルレエン、マラルメを経て近く大戦後の今日に到る最近半世紀の仏蘭西詩歌の大道に現れた詩人及びその作品を、私の詩眼で評価し選択して作られたのがこの集である。・・・・・・          千九百二十五年四月


 原本は1935年(大正14)9月、第一書房長谷川巳之吉)初版。
 安藤元雄の解説より。

・・・・・・菊判変型の大型本で七百六十頁、長谷川潔の木版による口絵一葉のほか、収録詩人十六人の肖像を別葉の挿絵とした、背革天金の豪華な造りで、初版は千二百部、定価四円八十銭という破格のものだった。・・・・・・

 現在の感覚なら1万数千円以上だろうか。当時「週刊朝日」が12銭だった。
 初版は半年で売り切れ、翌年4月650部再版、9月500部、翌27年普及版1500部発行。

 パッと開いたページの詩。
「恋は巴里の色」  ジユウル・ロオメエン
恋は巴里の色  そこはかとうれしきほのほ  道のかみ手に生る、
そこ深き青空に  ささげられたる街燈の灯(ひ)、 灰色のきりにかこまれし
黄金(きん)いろの火とや云はまし、 いささかはうれしきほのほ  恋は巴里の色。 ・・・・・・

 読者の見らるるとほり、私がこの集の訳に用ひた日本語の文体には、或は文語体があり、或は口語体があり、硬軟新古、実にあらゆる格調がある。然しそのいづれの場合にあつても、私が希つたことは、常に原作のイリユジヨンを最も適切に与へ、原作者の気稟を最も直接に伝へ得る日本語を選びたいと云ふことであつた。

 扉に佐藤春夫におくる」とある。堀口と佐藤は与謝野鉄幹・晶子門下で、慶応大学予科でも一緒。堀口は外交官の父に呼ばれて中退し、1925年に帰国するまでメキシコ、ベルギー、スペイン、ブラジルで暮した。
 佐藤が本書の書評を書いている。

・・・・・・僕はまた感ずる、たとへ君のやうな高雅な閑人にしても、絶好の状態においての十年といふ閑散がなかつたならば、・・・・・・このやうな豊富な訳詩は絶対にあり得なかつたであらう、君は天に感謝しなければならない。さうして僕たちも。君はのらりくらりと遊び暮らして、心のままに摘むうちに、ついすばらしい花束をつくり上げてゐたのだ!

 



■ ナサニエル・ウェスト作  丸谷才一訳 『孤独な娘』 岩波文庫 540円+税   
大恐慌下のアメリカ、新聞の身の上相談欄《孤独な娘(ミス・ロンリーハーツ)》に生活者の苦悩が寄せられる。担当記者は相談者の悩みにのめりこんでいく。
 富山太佳夫解説。

 この本をたとえば書店の棚で眼にして手にとるひとは、一体どんな理由でそうするのだろうか。『孤独な娘』というタイトルがなんとなく魅力的だからだろうか。それとも、訳者の名前が丸谷才一となっているからだろうか。もちろん、理由は幾つも考えられるだろうが、ナサニエル・ウェストという作家の名前に反応してという読者はまずいないのではないかと思われる。彼は一体どの国の、いつの時代の作家なのだろうか。・・・・・・・

 邦訳は1955年ダヴィッド社刊、66年集英社版『世界文学全集二〇世紀の文学 18』に収録。

(平野)