週刊 奥の院 5.18

■ 佐野眞一 『僕の島は戦場だった  封印された沖縄戦の記憶』 集英社インターナショナル 1600円+税 
 
 本書は、2008年刊行『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(同社、現在集英社文庫全2巻)の続編。前作では、“沖縄の戦後史”の原点=沖縄戦にはふれていなかった。
 佐野が「沖縄戦後史再検証」の手がかりとしたのは、琉球朝日放送制作のドキュメンタリー番組『英霊か犬死か〜沖縄靖国最判の行方〜』(2011年)。 
http://:title=http://www.qab.co.jp/news/2010090221117.html
 靖国神社には“英霊”として軍人・軍属が祀られる。そこに沖縄戦で犠牲になった一般住民約6万人が祀られている。

・・・・・・沖縄の住民にとって加害者である日本人兵士と並んで“軍神”となり、太平洋戦争をともに戦った“英霊”とされるのは、はかりしれない苦痛である。
皇軍”のなれの果ての実態を知ってしまった沖縄戦の遺族たちから、肉親の名前を霊璽簿から外してほしいという訴えの裁判が始まった。・・・・・・

 番組は当事者たちの証言で“靖国問題”の欺瞞行為を明らかにした。
 日本兵に壕を追い出された母親が、壕を軍に提供した“軍属”として祀られた。
 軍によってスパイとして虐殺された住民を、軍の秘密を守るため犠牲になったと援護年金を支給された。・・・・・・
 

 私がこのドキュメンタリーを高く評価したのは、ややもするとイデオロギッシュな文脈で語られがちな靖国問題が、この作品では誰にも代えようがない個別的な“身体性”をもって語られていたからである。
 言い換えれば、この作品における靖国問題は、右翼、左翼それぞれの立場からの机上の空論としてではなく、生々しい戦争の惨禍がもたらした冒瀆の物語として描かれている。・・・・・・
 この番組には、私が沖縄と取り組むスタンスと共通して、イデオロギーではない生身の“靖国問題”が語られていた。・・・・・・
“鉄の暴風”といわれた沖縄戦では、約二〇万人の戦死者を出した。太平洋戦争唯一の地上戦といってもよいこの戦闘で、沖縄県民の実に四人に一人が尊い命を奪われた。
 沖縄の戦後史は、ここから出発した。そして沖縄の米軍基地化もここから始まった。・・・・・・


1. 「援護法」という欺瞞  靖国問題と戦争孤児  沖縄戦の心象風景  犠牲者が戦闘参加者に  軍用地料と遺族年金  対馬丸事件 ・・・・・・
2. 孤児たちの沖縄戦  孤児たちへの取材  「集団自決」  いまもそこにある沖縄戦の傷跡 ・・・・・・
3. 「幽霊は私の友だち」  「沖縄戦新聞」  「戦艦大和」撃沈  「お前たち人間か」 ・・・・・・
4. 那覇市長の怒り  神から選ばれし子どもたち  ウルトラマンニライカナイ  沖縄は日本の植民地か? ・・・・・・
5. 「集団自決」の真実  生き残った少年  出生地は尖閣諸島  太陽の子  逝きし世の面影 ・・・・・・

 
  Mさん(76歳男性)、集団自決で家族を失う。孤児院で育ち、米軍基地で定年まで働いた。戦争体験を淡々と語る。

「・・・・・・孤児院ではいつもお粥とミルクだったのでお腹を空かして、米兵が食料を捨てている場所に行って、肉なんかを探していたんです。すると米兵が鉄砲を持って『あっちへ行け』と言う。でも、鉄砲に当たれば死ぬということはわかっていても、一つも怖くなかった。・・・・・・とにかく戦争ほどばかばかしいことはない。無惨です。これは誰も言わないと思うけど、私はあの戦争でアメリカに負けたのはよかったと思っている。だから私はアメリカが好きだし、基地も賛成。こんなこと言ったら石投げられるけど(笑)」
 沖縄はつくづく一筋縄ではいかない。沖縄戦の集団自決で家族を失った戦争孤児が、基地賛成と言う。
 それを奥さんが「お父さん、またそんなこと言って」と笑って制する。そんな夫婦関係も微笑ましかった。・・・・・・


 装幀・本文デザイン 菊池信義  カバー写真 東松照明「沖縄 1969」

(平野)
昨年の『週刊朝日』以来、過去の作品についても批判がある。これからも佐野の本を読みたい。