週刊 奥の院 4.17

■ 中村圭子 編著 『魔性の女挿絵集(イラストレーション) 大正〜昭和初期の文学に登場した妖艶な悪女たち』 河出書房新社 1600円+税
4.4〜6.30 「魔性の女 挿絵(イラストレーション)展」 東京弥生美術館
http://:title= http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/exhibition/yayoi/now.html

 中村は同館学芸員河出書房新社の「らんぷの本」シリーズ編著多数。
 カバーの絵は、橘小夢(さゆめ)「地獄太夫」(昭和30年代、屏風)。根津遊郭の遊女・幻太夫。金づるの大尽に振られて、邸宅に嫌がらせの行列をしたというエピソードがある。
第1章 明治末〜大正の文学と挿絵  橘小夢、泉鏡花谷崎潤一郎小村雪岱 ……
第2章 大正末〜昭和初期の文学と挿絵  竹中英太郎蕗谷虹児高畠華宵江戸川乱歩岩田専太郎 ……

「魔性の女」とは何か? より。
「魔性の女」のタイプ。
「美貌と官能で男性を惑わすタイプ」――楊貴妃高橋お伝、「痴人の愛」のナオミ ……
「自ら恋に滅ぶ女」――「安珍清姫」の清姫八百屋お七松井須磨子 ……
「謀る女」――「項羽と劉邦」の呂妃と桃娘(とうじょう)、「黒蜥蜴」の緑川夫人。
 日本の「魔性の女」は西洋の「宿命の女」(ファム・ファタル)と比較して、残虐なイメージは薄い(相手を殺してしまった女もいるが)、「殺す者より、殺される者、あるいは自ら命を絶つ者」が多い。
「魔性」とは何かを考えるのに、「魔性」とはいえない女性について考えている。
 文学では、正宗白鳥徳田秋声漱石牧逸馬らの作品の主人公を取り上げる。愛も仕事への意欲もない夫の健康を祈り、愛してほしいと願う妻。夫の仕打ちに耐え続け、自分の座を安定させる妻。男に裏切られ続けるが仕事に自分を生かす道を見出す女性。子育てに生きがいにする母親。
 挿絵では、加藤まさをのうつむきがちな少女、中原淳一の高潔な美しさ、松本かつぢの明朗・活発。「健康」「明るさ」が表現される。

……概観してみると、「魔性の女」とはいえない女性に共通しているのは、死とは無縁で「逞しくて前向き」、何より「現実的」ということではないだろうか? そして「魔性の女」の中に子どもを持つ者がほとんどいないのに対して、「魔性とはいえない女」のほとんどは母親である。仕事や子どもを持つ女は、現実にしっかり根を下ろさなければ生きていけない。
 一方「魔性の女」は、現実と遊離した場所に出現する女である。
 現よりも夢に近いところに存在する女、現実的ではなく非現実的な幻想の世界に生きる女……。西洋に多い、残忍で好色な魔女タイプは日本に少なく、妖しい幻想性を帯びた、夢幻の女が多いような気がする。
……きっと人間の心は、現実・向上心・逞しさという表向きの要素からのみ成り立っているわけではなく、裏にまわれば、非現実的な夢想や死への願望などが隠されており、それらもまた人間の心にとっては、大切なものにちがいない。日本の「魔性の女」は日本人の陰の心を象徴する存在であり、その物語に我々は共感し、癒されるのだ。……  

(平野)