週刊 奥の院 4.1
■ 高橋源一郎 『国民のコトバ』 毎日新聞社 1600円+税
小説家で大学の先生で、新聞・雑誌に意見を発表し、競馬の予想もする。
書くことの専門家。でも、「書いているより、読んでいる時間の方がずっと長い。書いているより、読む方が大好き」とおっしゃる。
……なにを読むのか。そりゃ、日本語に決まってます(あと、英語も少しだけ)。もちろん、すべての日本人が(それから、日本語が堪能なすべての外国人が)、日本語を読む。だから、すべての日本人が日本語の専門家といってもいいだろう。だが、その点に関してだけは、わたしは少しだけ自慢をしたいのである。
わたしはずっと日本語を使い、日本語を読みつづけてきた。(それから書いてきた)。そして、ある日、自分が常軌を逸して、このことばが好きだということに気づいたのである。……(一日中何かを読んでいる。食事中もトイレでも移動中も)……十八歳の時、留置場に三週間拘留されていた時、活字を読むことを禁止されていたので、発狂しそうになったぐらいである。だから、わたしは看守にお願いして、風邪薬の空きビンをいただき、その三週間、その瓶に貼られた効能書きを読んでいた。あれは最高だったなあ。いまでも、薬の効能書きを読むのは楽しいです。……
「日本語を読む」ことを“生涯のテーマ”としてきたと自負する作家が、「おもしろいもの」はどこにでもある、と日本語のことばの中から「とびきり面白く楽しい、不思議な魅力のある連中」を紹介してくれる。“インテリ源ちゃん”の日本語論。
「萌えな」ことば 「官能小説な」ことば 「相田みつをな」ことば 「VERYな」ことば 「罪と罰な」ことば 「漢な」ことば 「棒立ちな」ことば 「ケセンな」ことば 「クロウドな」ことば ……
どの項目も何のことかわからない。読んでもらうしかない。 私が紹介するのは、上記の2番目と思うでしょ? ちゃいます。
「棒立ちな」ことば
短歌について。
死に近き母の添寝のしんしんと遠日のかはづ天に聞こゆ 斎藤茂吉
「臨終が近い母親に添い寝をしていると遥か遠くの田んぼで啼いているカエルの声が天に響いている」
日本語の「少ないことばで、世界の本質をとらえる」という特徴を説明する。そして、新聞の投稿欄や学校の授業で、歌を作るこの国の人たち、この国のことばを讃える。
その「短歌界」で、「棒立ち」系といわれる歌があるそう。茂吉の歌とはちがい、「誰も見たことがあるか、地味すぎて話題にならないもの」「こんな些細なことを歌にしてなんの意味があるのか」というような歌。いわゆる子どもの発見のようなもの。驚いて、「棒立ち」して、「世界の新しい意味をみつけて感動」している歌。
ひも状のものが剥けたりするでせうバナナのあれも食べてゐる祖母 廣西昌也
裏側を鏡でみたらめちゃくちゃな舌ってこれであっているのか 穂村弘
カップ焼きそばにてお湯切るときにへこむ流しのかなしきしらべ 松木秀
あるある……その通りその通り、という歌。みなプロの歌人。
牛乳のパックの口を開けたもう死んでもいいというくらい完璧に 中澤系
……死んでもいいなんて大げさすぎるでしょ。いや、そうではないのだ。この程度のことで「死んでもいい」と口走るほどに、作者は追い詰められているのではないか。……
友人も恋人もいない、仕事も不安定、引きこもりかも……と想像する。
……子どもの無垢な「棒立ち」であると同時に、生活の前で「棒立ち」になっている若者の苦しみを象徴している。……
はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る
啄木の歌の「直接の子孫」と。
(平野)
薬の効能書きの話、確か戦没学生の手記にもあった。軍隊内で読むものがないインテリ兵隊さんが、医務室で薬の効能書きをもらって読んだ、メンソレのそれが一番長くて読み応えがあった、というもの。