週刊 奥の院 3.6

■ 石弘之・石紀美子 『鉄条網の歴史  自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明』 洋泉社 2400円+税 
 石弘之は元朝日新聞編集委員、国連環境計画(本部ケニア・ナイロビ)上級顧問、ザンビア特命全権大使、東大大学院教授など歴任。『地球環境報告』(岩波新書)他環境問題の著書多数。
 紀美子は長女。NHKで科学番組・社会番組担当。2000〜03年、サラエボの戦後復興に従事。現在フリーでテレビ・映画製作。
「まえがき」より。
 石弘之がはじめて鉄条網を意識したのは10数年前、ケニアの農業地帯で調査したとき。

……調査が終わって近道するために茂みを通って道路に戻ろうとしたとたん、下半身に巻きつくものがあった。雑草に覆われて見えなかったが、錆びた鉄条網が絡み合った大きなかたまりだった。
 身動きするとジーンズを通して鋭いトゲが皮膚に食い込んでくる。クモの巣に捕まった虫さながらの哀れなかっこうになった。鉄条網がこれだけ自由を拘束できるとは思ってもみなかった。大声で助けをもとめ、やっとはずしてもらった。このときに、はじめてまざまざと鉄条網を見た。……

 植民地時代の遺物。
 鉄条網はフランスとアメリカでほぼ同時期に発明された。アメリカでは1867年に特許取得。同じ頃の発明には、「機関銃」「大陸横断電信網」「パスツールの殺菌法」「ダイナマイト」「タイプライター」など。

……他の発明と比べてみても、鉄条網はきわだったローテク製品である。鉄線にトゲになる短い鉄線を巻きつけただけだ。こんな単純な構造にもかかわらず、「短時間に、広大な面積を、安価に、厳重に囲い込む」という機能は、今もって鉄条網に代わるものはない。
(あらゆる技術が進化・改良されていくなかで、鉄条網は発明当時とほとんど変わらない)
 鉄条網の当初の最大目的は、農牧場を囲うためだった。「畑への家畜や野生動物の侵入を防ぐ」「家畜を逃がさないように飼う」「所有地の境界を明確にする」「外的から家族財産を守る」という開拓時代の米国西部では願ってもない機能を兼ねそなえていた。「六連発銃」「電報」「風車」「機関車」「鉄製犂」とともに西部開発の強力な脇役になり、爆発的に普及していった。

 カウボーイの放牧は姿を消し、農牧地は鉄条網で囲われる。先住民は閉め出され、居留地で鉄条網の中に閉じ込められる。ブラジルの先住民は熱帯林を奪われた。「強欲」と結びつき、土地を不法占有し、収奪。囲い込まれた土地は生産優先で酷使され、土壌は侵食され砂漠化する。兵器としても「必須の存在」になる。
「戦いのある場所には必ず鉄条網がある。軍事施設のあるところにも例外なく鉄条網がある」
 石は気づく。鉄条網が人間に向けられている。刑務所、強制収容所、捕虜収容所、難民収容所。鉄条網は人間を狭い空間に押し込める。国と国だけではなく、敵味方、人種、民族、宗教、貧富……、「差別」「抑圧」「排除」……、世界の現場を見てきた。
 日本にもそんな場所があった。3.11後、福島原発構内・周辺の映像が流れ、厳重な鉄条網のフェンスが十重二十重に。

 テレビニュースのなかで、被災した老人のひとことが鮮烈な記憶に残った。
「あの鉄条網の柵は外から人間が入り込んで面倒を起こさないために建てられたものと思っていたが、原発のなかの悲惨な姿をみせないものだった」

 ケニアで引っかかった「トゲつき鉄線」について世界各地で資料を集め、企画から7年がかりで出版。
目次
まえがき――自由を拘束するローテク
1 西部開拓の主役――鉄条網が変えたフロンティアの景色
2 土地の囲い込みと土壌破壊――大恐慌に追い討ちをかけた黄塵
3 塹壕戦の主役――第一次大戦の兵器となった鉄条網
4 人間を拘束するフェンス――鉄条網が可能にした強制収容所
5 民族対立が生んだ強制収容所――「差別する側」と「される側」
6 世界を分断する境界線――国境を主張する鉄条網
7 追いつめられる先住民――鉄条網で排除された人びと
8 よみがえった自然――鉄条網に守られた地域
あとがき――「外敵排除」の論理
 カバー写真はフランス人カメラマンがイラク戦争中に撮影した鉄条網内の親子。父親は目隠しの袋をつけられている。米軍捕虜収容所。



◇ 東日本大震災を被災地から読む」フェア、仙台の出版社の本 その1
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■ 『kappo 仙台闊歩』 偶数月発行、オールカラー東北情報雑誌 各号648円+税
 
今回入荷
第51号 「復興へ 50人の言葉」  
第52号 「日本酒復興」
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第54号 「仙台甘味帖」
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 最新号62号では、特集のほかに、《在仙編集者が選んだ「震災本」ベスト45》掲載。今回のフェアの元になった地元編集者3名座談会。東北大学出版会Kさん、プレスアートKさん、荒蝦夷Hさん。
 


■ 宍戸清孝 『Home 美しき故郷よ  在仙写真家が撮った1年の記録』 2000円+税
 震災翌日から記録を撮った。3.11の午前中、「kappo」編集長と連載の取材を行っていたが、月末に、連載は休載して「希望をテーマに」と申し出た。

……その後が大変だった。私にとって、被災地の人たちにとって希望とはなんなのか。家も家族も失っていない自分が、安易に希望を語っていいのか。多くの人たちが安らぎや癒しを求める雑誌で、いやな記憶を蘇らせることにならないだろうか。……
石巻日和山公園、早朝展望台に上がる。旧北上川と中州を望む)
……川の両端に広がる家々やその後ろの山を包み込むように深い霧が立ち込めていた。凄惨な津波の爪痕を幾分か和らげてくれるかのように、災害で亡くなった人々に深い祈りをささげるかのように、白く清らかに、静かな朝を迎えていた。……川上から川下に流れるように霧が晴れ、徐々にその姿があらわになっていく。津波が遡った跡を逆に辿る霧を見ながら、連れ去られた人々の魂が、少しずつ少しずつ天に昇華していくように思えた。……自分はやはり被災地を撮影しなければならない。うまく言葉に表すことはできないが、なぜか心の深いところでそう思えた。……

「霧の決意」(4.1 石巻市。この写真はこちらでご覧いただけます。プロフィールの上の写真。
http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2012/03_shinjyuku.htm

■ 千葉直樹 『手をつなごう 街、クラブ、引退、そして震災のこと』 1500円+税 元ベガルタ仙台。1996年入団以来仙台ひとすじ。2010年引退。

(平野)