週刊 奥の院 2.11

■ 小沢昭一 『芸人の肖像』 ちくま新書 900円+税  
 小沢は2011年、『ちくま』の表紙写真とエッセイを担当。その過程で本書の企画が決まり、編集が進んでいた。小沢が全国を訪ね歩き撮影した芸人たちの姿と随筆。 
「芸人」というと、寄席の芸人さんとかテレビのお笑いタレントさんを想像するが、ちょいと違う。
【随筆】万歳の門付体験記(1971年6月)より。

おめでとうさまと 祝いまつる アレ 御万歳と チョイト寿(ことほ)ぎて…… 
 今年の正月、私は万歳の門付(かどづけ)をやった。万歳というのは、演芸の漫才ではもちろんない。正月に家々を訪れる大道祝福芸、万歳である。と、こう注釈を加えねばならないほど万歳が正月の街から消え人びとの記憶から去ってしまってもう久しい。万歳だけではない。大黒舞、えびすまわし、春駒、せきぞろ、猿回し、大神楽などの祝い芸、祓い芸から、遊行放浪僧による絵解きや説教。乞食まがいの願人坊主がやったさまざまな勧進芸。今日の浪花節を生む母体となった祭文、阿呆陀羅経、ほめらなど。また琵琶法師、瞽女といった盲人による語り物芸。さらに祭礼、縁日に見られる見世物から演歌師までの香具師(てきや)傘下の芸。そして法界屋、声色屋など歓楽の巷に出没した流しの芸などなど、江戸といわず明治、大正まで街や道にあふれていた大道門付の芸が、気がついてみるとわれわれの前から完全に姿を消し去った。めまぐるしく変転する芸能の、きのうあったものがきょう消えて何の不思議もないのだが、中世以来連綿として存在した芸能の一つの形態が、今途絶えたとあればこれは、気がかりなことだ。

 ここに挙げられた「芸能」、私たちが知っているもの、想像できるもの、少ない。
門付芸は、神の代理人めかして祝禱して歩いた放浪遊行の芸能者によって行なわれ、呪術的要素が強かった」。放浪芸人は定着社会から蔑まれたが、「呪術まがいのたぶらかしを、舌先三寸にのせて人びとの上に投げかけて、その日を生きて行った」。小沢は芸能の民に「銭をふんだくれる腕前」を発見する。
 実際に万歳に入門して門付。鎌倉と浅草を流す。鎌倉は鷹揚に受け入れてくれたが、浅草は冷淡だった。ニコニコ顔でおどけて振る舞うより、少しこわもてで威圧的にやったほうが「貰い」が多いことを知る。
 小沢は文章にちゃんとオチをつける。
 万歳の衣装を着ると「小沢昭一」とわかることは少ない。ある洋菓子店で店員さんが、

……しげしげと私をながめて「アッ」と言葉をのみ、自分の小さい蟇口から二百円差し出して「一日も早くテレビにカムバックして下さい。きっとまたチャンスがありますよ」と、小声で私に言った。

 カバーの写真は浅草寺境内の縁日で稼ぐ犬。首にさげているカゴにお金を入れると犬が頭を下げるらしい。「下げないときは平にお許し下さいませ」とある。
(平野)