週刊 奥の院 2.10

■ 篠田正浩 『路上の義経』 幻戯書房 2900円+税 
 1931(昭和6)年岐阜県生まれ。早稲田で演劇専攻。箱根駅伝に出場経験あり。松竹撮影所で映画監督。大島渚吉田喜重らと「松竹ヌーベルバーグ」と称される。著書多数。『河原者ノススメ』(幻戯)で泉鏡花賞
 演劇史から見た「義経」。
序  1 和泉式部、熊野に現る  2 牛若誕生  3 『義経記』の作者は誰か  4 武蔵坊弁慶  5 戦場の義経  6 壇ノ浦  7 『義経千本桜』  8 『安宅』そして『勧進帳』  9 近松門左衛門と『平家女護嶋』  10 竹本座と「判官びいき」  11 義経最期  12 『曾我物語』  13 『助六由縁江戸桜』  14 幽霊になった義経  切
 著者にとっては、宮本武蔵義経が少年時代憧れの英雄。武蔵は吉川英治の小説に心躍らせたが、成人して『海鳴りの底から』(堀田善衞)で武蔵晩年の悲哀を読み、暗然となった。

 義経については、未だに裏切られていない。義経ほど多くの物語や伝説で語られてきた人物は稀であり、そのために実在したはずの義経も見えなくなってはいるが、現代人としてその生きざまをわが身に引き寄せることが適わないのだから、裏切られる恐れはない。つまり、兄源頼朝鎌倉幕府という史上初の武士政権を樹立した事跡は歴史そのものである一方、義経は『平家物語』や『義経(ぎけい)記』のような物語のなかにしか見出せないのである。

 短命のため、武蔵のような教養小説の主人公にはなれなかった。公式の史料にわずかしか記載されていない。しかし、その活躍と悲劇は伝えられている。

 義経の死後、世間は彼の物語を求めてやまなかった。『平治物語』『平家物語』から『源平盛衰記(じょうすいき)』『義経記』など、続々と作者不詳の軍記物語のなかで書き継がれ、語り継がれ、室町時代にはじまった能、幸若舞浄瑠璃そして歌舞伎と、多様な芸能でおびただしい義経物が上演された。

 歴史でも文学でも、義経は軽く見られてきた。しかし、物語や芸能は、牛若丸・義経を主人公にして、「日本演劇史の劇的な光景を演出してきた」
作者不詳の文学には、「鎌倉・南北朝・室町という激動の歴史を生きた民衆の、義経への関心や同情が注ぎ込まれた」
 貴種流離譚といわれるように、義経には定住の地はなかった。

 彼の生涯は、合戦と逃亡の日々に費やされ、多くの家臣を失い、家族や愛人と引き裂かれ閉じられた。西行のように、旅と詩作の時が訪れることはなかった。九郎義経そのものが詩であり、歌であった。だからこの孤影に心を動かされた放浪芸能者の口から、物語が生み出され、歌い継がれ、舞にされ、芝居にされた。そして、それらの芸能は巨大な脊梁山脈を形成し、「判官びいき」という鳴動を、この国の隅々にまで伝播させていったのである。

「死」でも数々のドラマが記される。
 弁慶立ち往生、義経自害の短刀、切腹の詳細、首実検など。
 首がどこに葬られたかの記録はなく、言い伝えだけが残る。
(平野)