週刊 奥の院 1.26

■ 依岡隆児 『ギュンター・グラス 「渦中」の文学者』 集英社新書 740円+税  
ブリキの太鼓』で有名なドイツの作家、ノーベル賞文学賞受賞者の評伝。
 1927年ダンツィヒ郊外ラングフールで雑貨商の家に生まれる。戦中はナチス親衛隊。捕虜釈放後、鉱夫、石工などを経て美術・彫刻を学び、詩や戯曲も。1959年『ブリキの太鼓』発表。
 著者は1961年高知県生まれ、徳島大学大学院教授、ドイツ文学、比較文学。著書に『ギュンター・グラスの世界』(鳥影社)。グラスがナチスの過去を告白した『玉ねぎの皮をむきながら』(集英社)を翻訳。
まえがき
第一章 ふるさとを離れることはない〈一九二七年から五〇年〉
第二章 灰色(グレー)を愛す〈一九五〇年代〉
第三章 コラボレートする〈一九六〇年代、七〇年代〉
第四章 真実はそのつど、語り直される〈一九八〇年代〉
第五章 喪失は文学の前提である〈一九九〇年代〉
第六章 想起とは恩寵でもあれば、呪いでもある〈二一世紀〉
あとがき 渦中にあるということ

「まえがき」より。

 おもちゃの太鼓を叩き、悪のビートに乗って登場したかと思えば、政治家まがいのことをやり始め、市民運動のデモの先頭に立ったりもする。一方で昼寝の枕にもならないレンガのようにかさばる長大な小説を書いて、物議をかもす。家庭では女性問題に悩む火宅の人であるかと思いきや、さにあらず、母親の違う子供たち同士はけっこう仲よくやっているようでもある。いくつもの顔を持っている。ひとくせもふたくせもありそうで、胡散臭い。いずれにせよ、盛りだくさんな作家、なんとも評伝家泣かせな人物だ。

「渦中」にあるとは?
 政治運動、市民運動に積極的に参加。戦争責任、反核、貧困、環境、マイノリティの問題について発言し、作品に反映させた。
 2012年、詩「言わねばならぬ」で、核疑惑イランに先制攻撃を画策するイスラエルを非難。

……イスラエルが悪いのかイランが悪いのかというレベルのことではない。核疑惑に対して、核保有国のイスラエルが先制攻撃するということが局地的紛争にとどまらず、いつしか全面核戦争に発展して人類全体を滅ぼしかねない、というのが「核」という問題の、それこそ「核心」なのだ。

 文学について。グラスは批評家すら本を読まずに批判すると言って、彼らを怒らせた。本を読まない風潮、理論偏重の文学研究も批判。

……その真意は、あわただしい時代だからこそ、文学を文学たらしめる読書によってゆっくり自分の孤独に向き合う体験を取り戻すべきだということだったのだ。
 読書といえば、「彼は読書だけはずっと辛抱強く継続してやってきた」(『玉ねぎの皮をむきながら』)というように、少年時代のグラスも故郷ダンツィヒの狭いアパートの屋根裏部屋で本を読むのを好んだ。
 だが、読書は単なる現実逃避ではなく、過酷な現実から守ってくれる「遮断板」(同書)でもあった。おかげで、彼は適度に距離をとって、現実に向き合うことができた。周りの世界の偏狭さや戦争の悲惨さに対し、読書を通して別の世界に触れることで救われ、自分を失わずにすむ。こうして彼はいつの時代にも本を読みながら、現実世界に何度でも立ち向かう、打たれ強い作家になれたのだ。

(平野)
 新米の頃、グラスの新刊数冊しか配本がないのに、店の人間(わても)が先に買ってしまって、担当の先輩に叱られた。