週刊 奥の院 1.23
■ アルベルト・マングェル 原田範行訳
『読書の歴史 あるいは読者の歴史 新装版』 柏書房 3800円+税
著者は作家・批評家。1948年アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。父親が外交官で幼少期をイスラエルで過ごす。アルゼンチンに戻り、16歳の時ボルヘスの朗読を聞いた。軍事政権による弾圧前に渡欧し、70年代はフランス、イギリス、イタリアで生活。カナダに20年住み市民権を得る。現在はフランス在住。著書に、『図書館 愛書家の楽園』『奇想の美術館』(共に白水社)、『世界文学にみる架空地名大辞典』(講談社)など。
訳者は東京女子大学教授、英文学。『図説本と人の歴史事典』(共著、柏書房)など。訳書も多数。
本書は、古今東西の「読書」に関する史実、逸話、研究の他、著者の思索と経験を語る。日本古典文学にも言及。索引含め400ページ超。14カ国で翻訳。邦訳初版は1999年。
当ブログでは「新版に寄せて」を紹介するのがやっと。ご勘弁を。
知性に親切であった時代がこれまで一度としてあったでしょうか。古今東西を通じ、知の営みが私たちに残してくれた輝かしい作品群は、そのいずれも悲惨な事件を伴わないものはありません。
古代ギリシアは奴隷制度や外国人・女性の抑圧のうえに成り立った。古代中国で孔子は戦国時代のなか瞑想した。セルバンテスは民族浄化の時代にドン・キホーテを書いた。ドストエフスキーはシベリアの牢獄にいた。カフカはナチス台頭の時代に夢見た。
現代も“貪欲”の狼が私たちを脅かしている、と言う。その狼は、
本が売り買いの対象になることに気がつき、出版産業を安物を売るスーパーマーケットに作り替えようとしてきました。少しでも儲けようと、芸術のみならず科学の分野でも重要な、純粋な想像力を培うべき社会組織や図書館、美術館や劇場、自由な思想の学校や大学をも押さえつけたのです。そして、美的、倫理的、道徳的価値観を、商業的な価値観にすり替えようとしてきました。
私たちは苦労して獲得した《読む》という能力を生かして、狼を追い払わねば。
……読むことは理性的に思考すること、問いを問うこと、そしてよりよい世界を創造することへとつながります。読書はその意味において体制をくつがえす行為であり、それによって、私たちを窒息させようと脅かす貪欲や愚かさの潮流に抵抗することができるのです。洪水の脅威を前にして、一冊の本は一艘の方舟だと言えるでしょう。
人間は「陳腐で安易なことにそそのかされ、読書を中断する娯楽を発明」し、「読書の心地良い面倒くささや親しみのある遅さに敵対する娯楽や即時的な慰み、そして世界を結ぶ無線通信の幻想」を作り出し、「印刷に代わる新しいテクノロジー」で、「時間と空間に根を張った紙とインクの図書館」を「無限に広がる情報のネットワーク」に取り代えようとしている。
著者は、新しいテクノロジーを敵対関係ではなく、本と隣り合わせに並べて道具として効率よく使え、と言う。問題なのは、「経済的理由からそのテクノロジーを強制」され、私たちが「テクノロジーの道具」となってしまうこと。
過剰な開発・消費・生産、無限の成長に脅かされる現在、
一冊の本(あるいはカテドラル)へ穏やかな敬意を払うことで、もしかしたら私たちは立ち止まって内省し、誤った選択肢やばかばかしい楽園の約束を越えることができるかも知れません。どんな危険が私たちを脅かし、私たちが持っている武器がいったい何なのかを自らに問いただすことができるかも知れません。おそらくその問いこそが、読書という技法の正当性なのかも知れないのです。
目次の最初が「最後のページ」で、最後が「見返しのページ」。読書の広がり、奥深さを表わすものでしょうが、謎解きは、読むしかない。
(平野)