週刊 奥の院 1.20

■ 古田博司 『「紙の本」はかく語りき』 ちくま文庫 880円+税 
 1953年横浜生まれ。筑波大学大学院教授、東洋史。韓国の大学で6年日本語講師。著書、『東アジアの思想風景』(岩波書店サントリー学芸賞)、『東アジア・イデオロギーを超えて』(新書館、読売・吉野作造賞)他多数。
本書は『ちくま』に3年間連載した「珍本通読」を再編集。
第一章 変配の章  ポストモダンの読書の楽しみ方  女流作家たち  パノラマ狂とキッチュ狂  偏在するニヒリズム  焼跡の「近代」 ……
第二章 直観の章  モダンの終焉  美人伝の時代  直観の古代像  楽しくない語学・楽しい言語  読んでわからない本 ……
第三章 世界化の章  歴史の中に「世界化」の意味を探る  中華・グローバリゼーション  食いしん坊の儀礼  李朝の勤務評定 ……
第四章 壊造の章  白日性の時代を生きる  超越論への懐疑  因果論のジレンマ  脱構築の罠 ……

 モダンの時代は終わった。今の人々の不安はそういう不安である。筆者の不安はすこし違う。モダンの時代の蓄積の多くは、実は手つかずであり、わるく言えばやりっぱなしである。マキャベリの全集など、前の時代の人々がぜんぶ翻訳しておいてくれているのに、いつも出てくるのは『君主論』ばかりである。
 エミール・ゾラもそうである。ルーゴン・マッカール叢書の全翻訳は、いくつかの出版社の間で生じては消え、消えては生じているが、継ぎ足せば全巻ちゃんと日本にある。モダンの時代の人々は実に一生懸命に、まじめに仕事をしてくれた。新しい時代の我々は、真摯にそれを受け取るべきではないか。……
 ゆれる小舟の上で腕組みをしながら前より獲物が少なくなったなぁと、人々がつぶやいているのが今である。陸を追慕し、我々が獲物に選ばれていたのだと、詭弁を弄するのが脱構築派である。我々は、すでに海図はあるのだから、自信を持って海原を進み、とまっては頭を突っ込み、海のなかをのぞこうと言っている。……
 本書はそのような読者によるポストモダンの航海術である。読者には、海ののぞき方、潜り方の極意を伝授したいと思う。

「変配」は著者の造語。図書館には膨大な書物があるが、ほとんど読まれていない。勿体ない。
「これからは、前代の人々が蓄積してくれた知識を広く網羅し、分野同士をより深く関連づける時代だと仮にいえば、我々のすべき仕事は無限に広がるだろう」。
「女流作家たち」
 『文藝』(山田詠美特集、05年秋季号)で江國香織が山田から、吉屋信子『自伝的女流文壇史』(中公文庫、1977年)を推薦されたとある。著者も注文して読む。
 長谷川時雨林芙美子岡本かの子宇野千代宮本百合子らのエピソードが綴られる。
 三宅やす子という作家がいる。彼女が育ったのは、伯父・加藤弘之明治天皇側近、帝大総長、男爵)の家。加藤はドイツ国家法学を輸入した人物。著者は加藤訳『国法汎論』(1875年)を読んでいる。三宅は夫亡き後、門下生と内縁関係、さらに別の青年と恋愛。「偽れる未亡人」で告白した。三宅やす子全集全5巻(中央公論社・1932年、復刻版は本の友社・1993年)。
 真杉静枝は「不倫」。小説「小魚の心」で武者小路実篤との恋愛を綴る。「風わたる」に『ソーニャ・コヴァレフスカヤ』(岩波文庫野上弥生子訳、1933年)という書名が出てきて、当時の女流作家たちが好んだらしい。真杉の作品は『近代女性作家精選集』17巻(ゆまに書房、1999年)で。
 ソーニャは帝政ロシア末期の生まれ、ドイツに留学して数学者になった。幼少の頃のことを小説(「ラエフスキ家の姉妹」)にしていて、若き日のドストエフスキーが登場する。野上による「序」では、女流作家たちが憧れたのはソーニャの姉アニョータらしい。彼女は「固陋な家族制度と因習の中から自由と新しい生活に向かって、女流(閨秀)作家を目指す」。
 著者はこう書く。

 ……これで日本女流文壇の傾向が分かった。彼女たちは自分たちの素(す)の女らしさを求め、葛藤し屈折する日常を描くのである。

(平野)