週刊 奥の院 1.19

■ 由良君美 『みみずく古本市』 ちくま文庫 1100円+税 
帯の文句が実にすんばらしい!
書物の〈奥の院〉へ
元本は1984年青土社刊。
装幀の森――イギリスの世紀末を中心に
悪魔模様の玉垂簾――まず、お聞き下さい  幻想文学の法悦境  諷刺:この修辞の双極  ヨーロッパ・ユートピア:夢の構造学  オカルト地平:豊饒の沃野 ……
あちら――ロマン派から世紀末コーナー  『たいまつ』の巨匠:人類終末への突貫  ナチズム源流溯源:アイゼンハウアー的義勇軍  ビアズレー世界:エレガントな逍遥  世紀末都市ウィーン:方法的アプローチ ……
こちら――こちたき理屈の上棚(うわだな)  ヨーロッパ文学共同体:偉大な読み手  前衛シェイクスピア解釈家のマルクス主義的衣裳  文学的マニエリスム俯瞰:魔術空間のアラベスク ……
コトバ・ことば・言葉――こだまする回廊
洋間つき和風ロビーで、ご休憩を――まあ一服
知の四股名の平積台です――BGMつき
殺しから推理にいたる長椅子の間――灰皿または薄茶つき
ピカピカの新入生さま御用達
歴史のなかの社会の舷窓(げんそう)――お出口はございません
お帰りに――マルチ・スクリーンTVで現代風景の暗室を
御引換券「紙魚みみずく図鑑」――ほんのヤレを三枚
古本市下足番 口上
解説 由良君美とは何者か?  阿部公彦

 由良が書いてきた書評の数々。

……書評というものは総じて依頼されて書くものだ。自分で買って読み、これは良い本だ、良い訳だと思った本に書評の依頼がタイミング良く廻ってくることもないではないが、わたしの経験ではあまり多くない。それでも書評を頼んでくる編集者側には、何かの勘や当てがあったからこそ、当の本をわたしに廻すことになったに違いない。わたしに向かなかったり、心ひそかに書評にも価しないと思ったりした本が廻ってきた場合、編集者がたとえ一時、気を悪くしようとも、わたしはことわる方針を通してきたし、あらかじめ悪口しか言えないことが分かっており、なおかつ是非にと言われた場合は、それでもよいかと念を押した上で書いてきた。……

 これらの本を並べた風景を頭のなかの古本市に〈見立て〉、由良がその「冴えない下足番となって、読者を案内つかまつろうという趣向」。
 井上ひさし吉里吉里人』評。「縦横無尽:現代日本〈国家小説〉の一大笑劇(ファース)」(週刊読書人 1981.10.5号)。

 分厚い巻を一気に読み了って堪能した頭のなかに、まるで遠い童歌のように思いだされてきたのは、上田秋成の名作「目ひとつの神」のあの冒頭の言葉であった。
「阿嬬(あづま)の人は夷(えびす)なり。歌いかでよまん、と云ふよ。」
 関東などは田舎。あんな田舎者に歌を詠む風流ができようか、という嘲りの声である。さてそう嘲られた〈あづま〉の東京が明治日本で主都となると、〈あずま〉はさらに後退して、現在の東北を指すようになった。そして第二次世界大戦後、経済大国を目指す工業立国日本の、秋空のように変る農業政策の犠牲となって、いつも泣かされっ放しになってきたのが、この東北なのである。……

 井上の仕掛けを解説。国境感覚のない日本に突如出現した国境をめぐる戸惑いや滑稽、混乱、諷刺。舞台を東北の一村落にすることで、文化人類学的〈中心と辺縁〉。ユートピア小説やSFのように時間空間設定を過去や未来にせず、現代日本の現在点にする。そこにまた、東北弁の独立――方言と標準語の対等化を盛り込んでいる。仕掛けと、それをささえる素材、想像力、パロディ能力を賞讃。しかし、読者の立場からの評もある。

 これらの素材全体を活用して、この長大な作品は終局の悲鳴をめざして、急にテンポを早めるのだが、作品の内的必然性は分かるにしても、終末はもう少し壮大にゆっくりと、いままでの手口のすべてに対応しながらの〈漸次崩潰〉でありたかった。いくら全体が、ブラック・ユーモアであり笑劇であるにしても、最後は、もう少し重厚で納得のゆくものであって欲しかった。 

こう結ぶ。

……長く温めたこの主題によって、本当に戦後日本の、幾多の矛盾に対して言うべき言説を吐けたのである。サー・トーマス・モアユートピア』には〈面白くて為になる〉というラテン語の副題がついていた。今回のひさし文学も、正しくその点で面白く為になる。ドイツ語でユートピア文学のことを、〈シュターツロマン〉(国家小説)というが、『吉里吉里人』はここに細かく示す余裕がないが、立派に「国家小説」になりえている。しかも余裕あるユーモアの形で。

「御引換券」で生い立ちを語る。
カバー装画 多田順  カバーデザイン 間村俊一
(平野)