週刊 奥の院 1.15


■ 森達也 『虚実亭日乗』 紀伊國屋書店 1700円+税 
ブックデザイン 鈴木成一デザイン室  カバー人形 デハラユキノリ
 紀伊國屋書店のPR誌『scripta』連載に加筆。
(帯) 

森達也、悶える!
異文化の境界で、憎悪の連鎖する世界で、生死の淵で、異国のトイレで・・・逡巡し、葛藤し、煩悶する日々を私小説風に描き、フェイクドキュメンタリーを活字で試みる意欲作。

……齢五十になる男がいる。中肉中背。年甲斐もなく髪は中途半端なロンゲ。千葉県と茨城県の県境のあたりに居住している。
 名前は緑川南京(ナンキョウ)。……
 生活の糧としては執筆だ。かつてはテレビのディレクターをしていた。自主制作のドキュメンタリー映画を作っていた時期もあった。でもここ数年は、一日の大半を机の上のパソコンに向かい、キーボードを叩くことで過ごしている。……

 中学の同窓会に初めて参加。12月25日。隣に座った女性は、最後の春休みに映画に誘うつもりで電話した相手なのに、名前もクラブ名も間違えた。彼女はその電話のことなど覚えていない。
 正面の女性から「ペンネームにしなかったのね」と話しかけられる。「昔は自分の名前、いやがっていたじゃない」。(ナンキンと呼ばれた)   
 隣の女性が「変わらないわね」と言う。
「いい歳してロンゲだからな」
「それだけじゃなくて、やっぱり緊張感のある生活をしているからかしら」
「緊張感?」
「オウムとか被差別部落問題とか右翼とか、いろいろ摩擦もあるわよね」
 別の男性も身を乗り出して「危ない目にあったことは?」。
「一回もない」と答えると、信じられないという表情。
 これまで、映画上映やめろの内容証明便が1回、いやがらせの電話が数回。
 二次会後帰宅。翌朝二日酔いの状態で読んだ新聞、「昨日死刑執行四件」。
 クリスマスに処刑された死刑囚のことを考え、死刑廃止論議、治安強化、重罰化についても。

 不安で仕方がないからこそ、目に見えるわかりやすい敵が欲しくなる。戦後のアメリカはその典型例だ。敵が見当たらなければ不安になり、敵がいたほうが安心できるのだ。根底にある基本原理は不安と恐怖だ。勇敢なのではない。臆病なのだ。報復が怖い。不意打ちが怖い。だから先に攻撃する。危機を煽る。煽りながら怯える。……
 うじうじと考えてはいるけれど、南京は強硬な死刑廃止論者ではない。どちらかといえば「わからない」派だ。……

 悩む、考える、自分の意見を言う、他人の意見を聞く。禁煙から善悪、生死、罪と罰、愛と現実、それに連載打ち切り……、カバーの人形のように悶え続ける南京。しかし、異国の女子トイレで何を。
(平野)