週刊 奥の院 1.14


■ 高瀬毅 『本の声を聴け ブックディレクター幅允孝の仕事』 文藝春秋 1850円+税
 
 ブックディレクターという仕事、本を作るのではない。
 

 本を自在に操る男がいる。 
 少ない時でも数十冊。多い時には万という量の本を、彼があるテーマに沿って並べると、本棚が、がぜん輝きだすのだ。本棚を見ているだけでワクワクしてくる。何かが頭の中でスパークして、新しい発想が生まれる予感がする。つい手を伸ばして、本を手に取り、ページを開いてみたくなる。彼が並べた本棚の前に立ったことがある者なら、おそらく、ほとんどの人がそういった感覚に捉われるはずだ。
……「本棚の編集者」である。「本を編集」するのではなく、「本棚を編集」するのだ。

 他者から頼まれて「本棚を編集」する。依頼者が続々といる。ブックカフェ、インテリア・家具の店、模型店、空港や美術館のスーベニールショップ、アパレルや音楽、アートなどのセレクトショップ、ホテル、美容院、病院、銀行、メーカーの研究所……。

 業種に共通項はない。確実なのは、本屋以外の場所に本がどんどん「出ていく」状態が生まれているということだ。……出版不況が叫ばれる反面、光と影が交錯するように、一見矛盾した光景が広がっている。……あちこちで、本の魅力や本がもたらす効果を再発見したり、新しい利用の仕方(表現はあまり適切ではないかもしれないが)に気がつき始めたりしているようなのだ。
 本は、昔から本としてあり、商品の在り方としてはなにも変わっていないのに、どうやら本の求められ方に変化が生じているようだ。

 幅允孝(はば よしたか)は1976年愛知県津島市生まれ。両親の影響で幼少期から本に親しみ、「本ならいくら買ってもいい」と育てられた。慶應を卒業して、青山ブックセンターで2年勤め、編集プロダクションに移る。そこで請け負ったのが六本木ヒルズに出店する「TSUTAYA」のプロデュース。
 店がめざすのは、これまでにない新しいスタイルの店。フィクションは置かず、ノンフィクションだけの本屋。
 幅は店側と議論を重ね、「トラベル」「フード」「デザイン」「アート」をキーワードに生活提案型書店を打ち出す。

「クッキングという棚に『食』にまつわる小説、たとえば開高健檀一雄の本を置く」「村上春樹倉橋由美子の小説を、旅の本棚に並べてはどうか」「骨組みはノンフィクション、肉付けに小説」「安藤忠雄の写真集や随筆は、建築のジャンルを逸脱している。東京歩きのコーナーにどうだろう」……
 

 子供の頃から、なにより本が好きだった幅は、本というものが人間にどういう効果をもたらすのか、本を読むということの楽しみとは何かをよく分かっている。そもそも、明日の会議で何かいいことを言うためになどという読み方はしない。本はそんなものではないからだ。

 幅が必ずと言っていいほど並べる本がある。ガルシア・マルケス百年の孤独』。高校生の時に読んだ。「TSUTAYA」でも『地球の歩き方』の隣に。

「最初、なんじゃこりゃあ! という感じだった。しかし、初めて分からないということが面白いと思った本だった。それまでは何かを分かろうと思って読んでいたのに」

 
 大阪箕面市のリハビリ専門病院でのこと。
 ロビーと病棟階にライブラリーを設置。院長の依頼は「脳卒中のリハビリに効く本を集めたい」。
 幅には分からないことだらけ。病気の本、食べ物、旅などを揃えようとした。院長は「面白い本がいいんですよ」。
 幅は医師たちや患者たちとも話した。長期入院なら長い物語がいいのではと提案すると、「いいんじゃない?」という反応。しかし、ある患者が「こんなん読む気にならへん」。集中力が落ちていて読めない。短いもの、詩歌ならどうか。
 高齢の患者が詩集を書き写していた。谷川俊太郎の「接吻の詩」。詩人を知らない人、知らなくても困ることのない人がその詩を知り必死に書き写したこと、幅には新鮮な感動だった。

「大事なのは、手が動くことより、動いた手で何をつかむかなんです。足が動くことより、その足でどこへ行くのか。本は読み手にさまざまな感情を味わってもらうことができます。リハビリのためのリハビリではない。本は、自身の中に沈んでしまっていた『愉しい』とか、『嬉しい』とか『照れくさい』とか、そんな多様な感情をすくい上げることができるんだな、とそのとき思いましたね。書き手や差し出す側の意図を軽々と飛び越えて。そして同時に感じたのは、こんなこと、本屋にいた時には気がつかなかったということです」

 ページをめくる行為自体にリハビリ効果があること、写真集を見ることでふさぎがちな人も過去の思い出を積極的に話すこと、話しながら話題がつながっていくことも。

「ふつうの書店の小売の現場と違うんだと。本屋には、本というもの、本についての知識の文脈が分かっている人たちが来ます。でもここはそうじゃない。容赦のない場所なんです」

 失敗があり、発見があった。何より切実な読書があった。幅はこの体験から、道具として使える本を集めた『つかう本』(ポプラ社)を出版している。
 著者はジャーナリスト。『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(平凡社)など。
(平野)
 すみません。私、幅さんと、ブックコーディネーターの内沼晋太郎さんをゴッチャにしていました。