週刊 奥の院 12.31

■ 木内昇 『みちくさ道中』 平凡社 1400円+税 
 
 日経新聞連載他のエッセイを、「まっすぐ働く」「ひっそり暮らす」「じわじわ読む」「たんたんと書く」の4テーマに分けてまとめる。
 2012年1月最初は「先延ばし」
 

 年始より年末のほうが好きである。有り体に言えば、「新たな一年をはじめるぞ」と意気込むよりも、「ここで一旦リセットしよう」と息を抜くほうが、据わりがいいのだ。なんともやる気のない書き出しで申し訳ないが、年々この傾向が強くなるのは困ったものである。……

(「一年の計は元旦にあり」、今年の抱負・目標・計画……、私もすんなり言えるほど積極的に生きておりません。直木賞作家さんと同列にして恐縮です)

……これまでの人生で一遍たりとも計画通り、思い通りに事が運んだためしがない。加えて生来の刹那主義も崇り、自分の理想とする将来像を掲げ、そこに向かって進め!  といった建設的思考とも縁がない。それより年末に来し方を振り返るほうが、まだまだ性に合っている。……

(私は反省もない)
「将来の夢」を訊かれるたびに、「歴史に名を残すことです」と答えた時期もあったそう。

(現世で果たすべき計画や目標から逃げの一手は)作家になってからも相変わらず。編集者から、途方もない目標(ベストセラーとか)を与えられるたび、「いや、そいつぁ来世の楽しみにとっておきましょう」と、お茶を濁している。……しかし、心がけていることがひとつある。自分に起こった事柄は引き受ける、という単純な決め事だ。

(そう、自分のケツは自分で……拭ききれていない)

……あまり思い詰めず「なんとかなるさ」と一旦据え置く。あまりに相手が悪ければ潔く退却する。……この、ひとつひとつ小石を積み重ねていくような作業が、いつの日かなにかしら形を成すのではないかと、あくまで楽観的に構えている。

(その「ひとつひとつの積み重ね」が難しい)
 

 人生、思い通りにいかぬところにこそドラマがある。そう自分を慰めつつ、たとえどんな時代を生きても、「これはこれで面白かった」と思える胆力をつちかえれば、と実はひそかに、贅沢な夢を抱いているのだ。

 順風満帆なんぞない。皆、泣いたり、笑ったり、怒ったり、立ち向かったり、逃げたり、、止まったり、隠れたり、また逃げたり、Uターンして、回り道して、道草食って買い食いして……生きている。
「妄想」に逃げるのもあり。
 著者が編集者時代なんども考えた妄想は、会社に侵入した忍者に立ち向かうこと。仕事の上での活躍ではない。
 ある芸能人に仕事の夢についてインタビューした。マネージャー氏に話を振ると、彼が目を輝かせて語りだした。撮影現場で事故発生、危機一髪のところをスタッフ・出演者を自分が救う、というもの。
 

 私は息を呑んだ。……それって夢じゃないよ、妄想だよ。唖然としつつも「ここにも、いた」と思わず腹の中で叫んだ。タレントを大きく育てることでも、いい仕事を決めることでもなく、鉄柱を受け止めるという普通に考えれば起こり得ない物語を創作、さらにはその妄想を、担当するタレントの前で堂々と口にする彼の勇気に感銘すらした。……
 以来私は、この手の妄想で仕事の辛さを乗り越えている人はまだまだ存在すると信じるようになった。非合理的な営みには違いないが、飲みに行って憂さを晴らすより経済的で、愚痴を言い合うより精神衛生上よろしい。そしてなにより、全国のまだ見ぬ同志(同病?)が今日もさまざまな妄想を静かに花開かせ、それによって自らを保ち、現実に立ち向かい、また乗り切っていると思えば勇気凛々、明日も頑張ろうという活力が湧くのである。

 (私、いまだに我が身の「大器晩成」を信じています。これは「妄想」というより、「狂?」)
 著者の座右の書がある。戦争で学徒動員された竹内浩三の日記。出征中に生まれた姪に書き送った言葉。

「オ前ノウマレタトキハ、オ前ノクニニトッテ、タダナラヌトキデアリ、オ前ガ育ッテユクウエニモ、ハナハダシイ不自由ガアルデアロウガ、人間ノタッタ一ツノツトメハ、生キルコトデアルカラ、ソノツトメヲハタセ」
 生きていると、つい生きていることを忘れがちだ。なにかを成し遂げたいと気ばかり逸るが、実はすでに私たちはすばらしい務めをはたしているのである。……

 本年もあと一日。反省するのは今日しかない。ということは、明日から新しい「妄想(狂?)」が始まる。
 読んでくださりありがとうございます。
 ではでは、皆さん、良いお正月を。
(平野)