週刊 奥の院 12.17

■ 『仙台学』 vol.14 荒蝦夷 1500円+税
特集 赤坂憲雄「震災論Ⅱ」 
〈震災〉と取材 稲泉連×山川徹  
未来を照らす〈地域の歴史〉 佐々木俊三 
特集 第2回みちのく怪談コンテスト
受賞作・入賞作掲載 
選考会 高橋克彦×赤坂憲雄×東雅夫他に、
「まつくらくらの二里の洞」の魅力  池澤夏樹
春の堤を行く 貞山堀逍遥  佐伯一麦
……
 表紙の写真は宮城県南三陸町の様子(2012.10.16)。

赤松の「3.11以後 未知なる現実/あたらしい言葉」東京新聞2012年9月21日)から。
 

 現場はどこまでも混沌としている。状況はあまりにめまぐるしく変転する。だから、みずからの言葉に日付けというタグを付けずには、気分がどうにも落ち着かない。昨日の言葉が遠く、色褪せて感じられる。それはだれかに届くはるか手前で、速度というものを失い、気がつくと泥まみれで足元に転がっている。そんなことが幾度もあった。言葉が現実に追いつけず、置き去りにされている。〈3.11〉以後は、わたしのなかで、そうした言葉を巡る不安とともに記憶されるにちがいない。
 いまだに、きちんと現実に寄り添う言葉が戻ってきたとは感じられない。そもそも、それほど地に足着いた言葉が自分のなかに存在したのか、心もとない。ただ、どうやら現実というものには2種類あることがわかった。これまでの言葉や論理で何とか把握することができる古めかしい現実と、それができそうにない未知なる現実。これをしっかり腑分けしておけば、大きく足を踏みはずすことはない。 津波に襲われた海岸に巨大な防波堤が必要かという問いに、二つの現実がぶつかる。

 必要――防災・減災で復旧――公共事業で復興――しかし防波堤でも守ることはできなかった。
 不要――干潟に還す=海に生きる人たちの声――人口減少で単なる復旧はむしろ現実離れの選択。

 思えば、三陸地方は近代にも三度の大津波に襲われてきた。明治と昭和の大津波のあとには、村や町はたちまち復興を遂げた。漁業はたくさんの労働力を求めていた。人があふれていた。いま、同じ復旧のシナリオはありえない。……
 おそらく、われわれは近代の黄昏のなかで、巨大な防波堤を造るよりも、干潟に還すプロジェクトのほうが現実的(リアル)であるような、未知なる現実にはじめて遭遇しているのである。大きな構想力が試されている。あたらしい現実に根差した言葉がほしい。それなしには、東北のあすを豊かに語ることはできない。

(平野)