週刊 奥の院 12.1

 本日より
第14回 海文堂の古本市  12.1〜12.9  2Fギャラリースペース
参加書店 やまだ書店 一栄堂書店 イマヨシ書店 あさかぜ書店 つのぶえ カラト書房 マルダイ書店 ブックス・ガルボ

■ 黒川創 『日高六郎・95歳のポルトレ  対話を通して』 新宿書房 2200円+税
 日高は1917年中国・青島生まれ。戦後民主主義を代表する知識人のひとり、社会学者。42年召集、肺炎で除隊。敗戦時は東京帝国大学文学部助手。51年、E・フロム『自由からの逃走』翻訳。60年東大新聞研究所教授。ベトナム戦争脱走兵援助運動に参加。69年の東大機動隊導入に抗議して辞職。韓国民主化支援も。フランス暮らしを経て京都精華短大教授。赤軍協力者容疑で、フランスとオーストラリアからヴィザがおりない事件もあった。現在は京都の高齢者施設に居住。
 本書は黒川が聞き書きでまとめた。当初84年に出版できるはずだったが、原稿は日高預かりとなっていた。20数年ぶりに対話を再開して数年になる。このたびようやく出版。 
1 中国・青島に生まれて
2 僕は学者では絶対にない
3 一歩前へ出る、ということ
4 自分の寿命をものさしとして
エピローグ 異郷にて

 青島時代。ひとまわり上の長兄は東京文理科大学在学。共産主義組織には参加していないが学生新聞主筆。逮捕されたが、先生がかばってくれ、大学は卒業できた。

(日)そのころは、東大であれ、文理科大であれ法文系の学生の半分ほどはマルクス主義者です。それくらい浸透した。シンパですね。だから、かばったりかばわれたりする関係があった。
 これは大正デモクラシーの余韻です。それが切れるのが、満州事変ですね。……
 僕は、シンパシーが兵隊さんのほうにあった。これが変わりだすのは、小学校六年のときにトルストイの民話を読んだことからだった。そのあとクロポトキン
(黒)そういう本は、誰からもらったんですか?
(日)僕は自分で選んだ。博文堂書店っていう本屋で。……当時の日本の窓は、本屋なんです。本屋に入ると、一時間でも二時間でも、本を見ていた。
(黒)トルストイなんて、そのころ、子どもにも手に入れやすかったんですか?
(日)ぼつぼつね、あのころから文庫本になっていた。岩波文庫改造文庫。……日本人は翻訳に熱心だったから、いろんなものが読めるね。『マルクス・エンゲルス全集』っていうタイトルの全集が出たのは、日本が世界で最初なんだ。一九二八年刊行開始。同年に、春陽堂では、『クロポトキン全集』が出たんです。……


「自分の寿命をものさしとして」より。
 鶴見俊輔が「言葉」から、丸山眞男が「天皇制」から、戦前日本社会の分析に取り組んだが、日高はどういうところからと問われて、

……僕はね、「人間」から、ということなんだ。つまり、貧富の差とか、マルクス風に言うならば階級社会、そういうものの以前の人間から、素朴なる人間主義、みたいな感じですかね。……自分の一生の七〇年なり八〇年なりそれをものさしとして時代を見る。……僕は、戦前、戦後を見てきた。つまり、僕にとって戦後史というものも、僕という人間を通じて、体内をくぐって現われる戦後史だからね。単純に言えば、体内にある感覚や判断が、僕の思想であったり、ものさしであったりする。そのものさしは、僕の独占物ではなく、みんなが感じていることと共有される部分も多々あると思う。

(平野)
 ちんき堂さん出品。本屋のマッチ、「宝文館」と「海文堂」。撮影F店長。