月曜朝礼 新刊紹介

【文芸】 クマキ
■ 真銅正宏監修 『ふるさと文学さんぽ 京都』 大和書房 1700円+税 
 都道府県ごと、ゆかりの文学アンソロジー
寺と庭  「金閣寺」 三島由紀夫  「祇園の枝垂桜」 九鬼周造 他
  「鳥居本祇園料理」 渡辺たをり  「鮎の試食時代」 北大路魯山人 他
  「高瀬川」 水上勉  「祇園」 吉井勇  「あさきゆめみし」 大和和紀 他
  「安寿子の靴」 唐十郎  「虞美人草」 夏目漱石
歳時記  「神遊び」 杉本秀太郎  「山月記」 森見登美彦 他
大学  「暗い絵」 野間宏  「鴨川ホルモー」 万城目学 
  「天の橋立」 中勘助

 監修者、京都を舞台にした多くの作品から、「削減することに苦労した」そう。
 古都、神社仏閣、年中行事、四季折々の風情、町中を川が流れ、山に囲まれ、繁華街、豊かな食、学生の街……、魅力のある都市。
 カバー他、伊藤若冲の絵がたくさん。

■ 吉田健一 『時間』 解説・松浦寿輝 
■ 同上   『変化』 付記・中村光夫 解説・松浦
青土社 各2400円+税
吉田健一(1912〜1977)、生誕100年。
『時間』は75年『新潮』に連載、翌年新潮社より単行本。
「冬の朝が晴れてゐれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日といふ水のやうに流れるものに洗はれてゐるのを見てゐるうちに時間がたつて行く。……」
 吉田はこの本でただ一つのことを語り続ける。
「我々の毎日は刻々に時間がたつて行つて自分は今生きてゐると思ふ」
「時間はただ経過してゐる」
……

 一見、自明の命題と見える。しかし、「時間はただ経過する」と感得することは決して自然な体験ではなく、むしろこの「ただたつて行く時間」への不感覚こそが人の世の常態であるという主張に、本書の独創がある。……ただし吉田は、時間の忘却が単なる個人的心理の失調の問題だとは考えていない。それは歴史認識それ自体と結びついた問題であり、その中核にあるのは「近代」こそ時間を忘れさせる元凶だという命題である。(松浦)

 古今東西の書を繙いて、時間の意味を考察する文明論。
『変化』は未完、遺作。「時間」に続く評論。『ユリイカ』に76年〜77年連載。
「歴史を振り返るとか今日の世界を見渡すとかいふことをする時に普通に我々が受ける印象は不断の変化、それが激烈なものでもそれ程でなくても兎に角絶え間がない変化が行はれてゐるといふことである。……」                    
 連載中に亡くなった。亡くなる前にロンドン、パリに。出発時、編集長に「変化ⅩⅠ」と題した原稿を預けた。

……約束通りに書けなかったのを詫びる気持ちとともに、已むを得ぬ場合、これで穴埋めしてくれといふ意味があつたのでせう。
 むろん彼はこれで責任をはたしたつもりではなく、帰ってきたら、すぐにこの仕事にかかり、いつもの量の原稿にする意図だったと思はれます。
 この推測を裏づける證拠は、彼の死後、書斎で発見された書きかけの草稿です。原稿用紙の冒頭に二行たらずの文字がのこされてあるだけですが、これはあきらかに「変化ⅩⅠ」の六枚目です。(中村)

 その文章「変化ⅩⅠ」も掲載。

【芸能】 アカヘル
■ 吉川潮 『談志歳時記  名月のような落語家がいた』 新潮社 1700円+税 
 作家、立川流顧問。
立川談志は名月である  1 後の月  2 新月  3 半月  4 雨月  5 夏の月  7 名月  8 寒月
談志日月抄  最後の五年間
巻末附録対談  芸人と同ンなじ悲しさ 立川談志吉川潮 
 2011年12月21日、ホテルニューオータニでのお別れ会終了後。

……ホテルを出た時、夜空に浮かぶ寒月を見て想った。柳家小さんが太陽なら家元は月であると。月はさまざまな姿を見せる。三日月、半月、満月、朧月、時には雲間に隠れることもある。家元もさまざまな顔を持っていた。
 それに、月の周囲には数多くの星が存在する。家元の弟子や周囲の芸能人は星なのだ。スターもいれば星屑もある。そして、月の光は闇の中でさ迷う者たちを照らし、進むべき道を教えてくれる。
 立川談志は月の落語家、まごうことなき名月であった。

(平野) 
【海】の近所に「青辰」という寿司屋があった。そこの穴子寿司を吉田健一が好んだというのを知っていつか食べてみたいと思っていたが、なかなか機会がなくて、初めて食べたのは30歳過ぎてから、ようやく。その店ももうない。