週刊 奥の院 10.18

■ 森まゆみ 『千駄木漱石』 筑摩書房 1700円+税 
 装丁:矢萩多聞  装画・扉絵:夏目漱石
 Webちくま連載(2010・1月〜11・2月)。
 漱石は1903(明治36)年3月駒込千駄木町に引っ越してきた。妻鏡子、長女筆子、次女恒子。この年の1月英国留学から帰ったばかり。一高講師と東京帝大講師に内定していた。

……千駄木漱石にとって、英語・英文学教師から作家となった土地であり、絵や文を書くことでどうにか神経衰弱をなだめた土地であった。
……東京帝国大学や第一高等学校で教えるかたわら、『吾輩は猫である』『倫敦塔』『坊ちゃん』『草枕』『二百十日』などを書いた。弟子たちと行き来し、散歩し、ときに奢ってもらった(昔はお世話になるほうが師をご馳走したものらしい)。書くことが楽しく、ほめてもらうのがうれしく、生活費はいつもたらず、教師は辞めたくてしかたがなかった。
 その鬱屈が嵩ずると、「学校へ行くと高等学校の生徒のアタマを一つ宛ポカポカ殴ってやりたくなる事がある。千駄木のワイワイ供に大きな石をつけて太田の池へ沈める工夫なぞを考える」(明治三十九年一月十八日付、加計正文宛)。
 アブナイ、アブナ、漱石先生。どうにかこらえて、いっぽう京都帝国大学教授や読売新聞入社の勧誘も断った。「江湖の処子」として生きる所存だったのである。

「生徒のアタマを殴って〜」なんて、まさに「坊ちゃん」。
 当時の千駄木

……いたちが跋扈し、木々の葉がそよぎ、泥棒が忍び足で入り、先生は石油ランプの下で執筆した。

 坂の下には養豚場があり、隣町には牧場があった。

 熊本五高と帝大での教え子、野間真綱に宛てた手紙がある。野間の娘の死を悼む。
「御嬢さん御かくれのよし。惜しい事をしましたな。美しい小女の死ぬほど詩的に悲しい事はない。死んでいい奴は千駄木にゴロゴロしているのに思うようにならんな」
 この文句に著者は快哉を叫んだそう。地域雑誌を始めた頃、若い女、生意気、過激派と、町でいじめられた。
谷根千」地域史第3弾(86年『谷中スケッチブック』、92年『不思議の街 根津』、共にちくま文庫)。前作から20年、頭痛、めまい、耳鳴り、眼病に悩まされ、漱石(胃炎・神経衰弱・眼病)の気持ちがわかるようになった。
 

 私もときどき戸棚を探し、菓子をぽりぽりやる。胃がしくしくするときには、食べると痛みがまぎれるのを知った。遅延のいいわけの負け惜しみである。

(平野)
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