週刊 奥の院 9.30

■ 佐野衛 『書店の棚 本の気配』 亜紀書房 1600円+税 
 東京堂書店の前店長。
 

 書店に立ち、棚の前に佇み、本を手にしたことから見えてきたこと、考えてきたことは本当に多い。多くの愛読者の人たちの表情もまた浮かんでくる。ふり返るには、まだ早いが、わたしは本とともに歩いてきた。このことは確かである。

 アルバイトから始まり、大学卒業後そのまま働いたそう。2010年暮れ退職された。

 書店にとって理想的なのは、本が本をよび、本が棚をよび、棚が棚をよび、棚が書店をよぶという構成をつくりあげることだ。読者にとってはその逆をたどればいい。書店に入って棚から棚を見ながら本を手にとり、その本がまた本をよぶ。限りない世界が身近な空間に出現する。 
 ところが、書店員のなかには、自分の思いだけで本を選び、それが独自の棚作りということになっているケースが多いようだ。これは、その人の思いの先走りだと思う。独りよがりの配列をしてはいけない。現在ではそれが評判をよんでいるようだが、それでいいのだろうか。
 わたしは、本が本をよぶのであって、その声を聴きながら棚を構成していくことをできるだけ心がけてきた。本にしたがうことは、大げさにいってみればハイデッガー風に「存在の声を聴く」といったことの実習をしているようなものである。本に霊がこもっているなどということをいっているのではない。それぞれの本の立場に立ってみたときに、その本の存在が素直に自分の意識を呼び覚ましてくれる。単なる紙の集積としての物体を、自分の手で動かせるからといって侮ってはいけない。それらは人類の始まりからの記憶として連綿と伝えられてきたものである。本というものはそうした伝統を背負って伝えられ、現在でもその末裔として続いている人間の知的な営みなのである。……

1 本の声を聴く――書店の棚の広がり
2 二〇〇九年から二〇一〇年の日録
3 本をめぐる話――書店は誰のものか
4 東京堂書店店長時代
5 本とわたし――経験は読書
あとがき

 店長は忙しい。経営、管理は当然で、現場の仕事もしなければならない。東京堂には作家・著名人が日によっては何人も来店、その応対も。時々、出版社の営業担当をからかう。
(営) 佐野さん、いらっしゃいますか?
(佐) 佐野さんどこへ行ったんだ……佐野さんいないよ。
(営) レジでお伺いしたらこちらだと……。
(佐) 置物の招き猫じゃあるまいし、いつもここにいるとは限らないよ。
(営) それじゃあ、店の方で待たせていただきます。
レジから「佐野さん、電話……」
(営) 佐野さん、いるじゃあないですか。
(佐) すいません、忙しいもんで……。
(営) 新刊の案内に来たんですが。

 引用文他、文章には古典・哲学者の名がずらり。今も哲学研究中。
(平野)
 何年も前のこと。東京堂でブックカバーをつけてもらわず後悔。ある営業氏が佐野さんからもらって来てくれました。佐野さんと営業氏に、改めて御礼。 佐野さんの退職は業界では大ニュース、というより衝撃だった。だから大改装には驚かなかった。