週刊 奥の院 9.19

■ 『文藝別冊 瀬戸内寂聴 文学まんだら 晴美から寂聴まで』 河出書房新社 1200円+税 
 巻頭インタビュー 「もう、書けなくてもいい――文学と人生を振り返って」 聞き手 秋山駿 
 瀬戸内寂聴コレクション 小説・エッセイ・詩・俳句・人形浄瑠璃
 鼎談 三島由紀夫竹西寛子
 識者によるエッセイ・評論・主要著作解題。
「インタビュー」から
 出家の顛末  
 はじめから仏教徒として出家を考えていたのかと問われて。
 

出家する前はなんでもいいと思っていました。要するに、人間以外の何かにすがりたかった。だから仏教じゃなくてもよかったんです。
キリスト教に憧れた。遠藤周作カトリック洗礼の相談をしている)
……
 出家したあと、多くの作家は私の悪口を言いました。「出家なんかしたら小説が書けるはずはない」って。ところが、遠藤さんはじめクリスチャンの作家たちはみなさん、「おめでとう」と言ってくれました。
 でも、振り返ってみれば、出家なんて正気ではできないことだと思う。だから、あるとき「なぜ出家したんですか」と聞かれて、「更年期のヒステリーだったんじゃないの?」と答えた。
(出家して身の上相談が多く寄せられる。圧倒的に40代後半〜50代初めの女性。回答が面倒で「更年期なんじゃないの?」と答えていたら、皆えらく納得してくれた)
 自分には更年期はないと思っていたけれど、思い返すと、あれがそうだったのかな、と。
(ひとつのことをくどくど、くどくど。本は売れているのに)
……そう考えると、すごく上手な脱出をしたことになりますね。

 文学者たちの交流 
 出家の世話をしたのは今東光。親しくなったのは文藝春秋の地方講演会。松本清張と3人の旅。ふたりとも博学で話は楽しい。それに悪口も。
 中央公論社版全集刊行で、編集委員Mがこのふたりをどうしても入れなかった。川端康成の口利きにも譲らない。「ふたりを入れるなら自分はおりる」とまで言った。その怨み。
 晩年なき晩年

【秋山】 どうか百歳まで書き続けてもらいたい。
【寂聴】 そんなのいやよ! だってもう十分書きましたから。ほんとうに思い残すことはないんです。まあ、時間があれば、あと三つくらい長篇で、と思うけれど、でも、もう、書けなくてもいい。
(若い作家に刺激されて「ショートショートを書きたい」と)
 寂庵のスタッフに、「晩年になったら、私もひそかにショートショート書いておきたいわ」と言ったら、みんな声をそろえて、「晩年って……いつからだと思ってるんですか?」って(笑)。いつもそう言って馬鹿にされるのよ。


 90歳、まだまだこれから。
(平野)