週刊 奥の院 9.8

■ 川上未映子 『人生が用意するもの』 新潮社 1300円+税
週刊新潮」『日経新聞』連載のエッセイ。カバーの絵は多田玲子。 
1 世界のみんなが気になるところ
2 3月の記憶
3 人生が用意するもの
4 ラズノーグラーシェごっこ

(1) 街中の公の場所で見えてしまう下着について。欧米人の二重まぶた。大きな声で言えないアソコの形。耳の穴。歯の治療。妊婦のゆううつ(マタニティ・ブルーではなく)。……
(2) 震災のこと。
(3) 近所の味はイマイチだが一生懸命のサービスするインド料理店。黙読会得。作家と経済。作家の本音と建前=締め切り問題。「ギリギリライン」的職業。……
(4) 卒業式のサイン帳。ガーデニング。ポスターの「剥がしどき」。「ラズノーグラーシェ」――山城むつみドストエフスキー』から。クレーマー目撃。……
 身のまわりに起こる出来事を未映子さん流に真面目に考え、率直に発言する。
 前に川上弘美さんが小説で素直(?)に性について語っていましたが、未映子さんも……「セイキ」「ソーニュー」連呼。(「いつものかたちじゃなくなっている」)

……この数日間、ここに収める1年分の文章をまるっと読み返していたら、3月の地震について書いている部分に突きあたると、やはり気持ちはうんと沈むのだった。どうしたって思いだしてしまうあの日のこと――そしてそれ以来、それぞれに訪れた困難は、東京に住んでいたってやはりとらえどころのないしんどさのなかにいまをずるずる引きずりもどすそんなちからに満ちていて、ひきつづき大変なことです。もちろんなにも解決していないどころか問題は日々増えていく一方なのだけど。
 いいものもそうでないものもひっくるめて、人生が用意するものはいつだって数え切れずあるけれど、でもやっぱり、遠くを見ても近くを見ても、日常が一色であることはありえない。どんなにものすごいことが起きたって、ふとしたときにどうでもいいようなことで笑ったり怒ったりいらっとしたり倒れたり、喜んだり抱きあったり途方に暮れたり忘れたりしながら、そういうマーブル状のあれこれとして、この連綿とつづいているように見えてしまう毎日の背中をそれでもなんとか押してくれる、そんな瞬間があってくれるのもまた本当なので、そういうものをなんとか繫げてやっていければよいなと、2012年の今はそんなふうに思っています、なんとか、なんとか。……

(平野)