週刊 奥の院 9.1

■ 長野伸江 『この甲斐性なし! と言われるとツラい  日本語は悪態・罵倒語が面白い』 光文社新書 760円+税
 1967年新潟県生まれ。放送局、編集プロダクションを経てライター。著書に『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』(小学館)。
序章  バカヤロー!――あいさつから愛と悲しみまで 
第一章 ブスとババアと淫乱と――女をののしる
第二章 弱くてくさいは甲斐なし――男をののしる
第三章 犬は畜生、猫は泥棒――動物の悪態
第四章 鼻くそほじって、クソ食らえ――排泄物で嗤う
 

 本書は日本人が武器として使い慣れてきた日本語を取り上げ、その使用法の変遷を振り返り、現代を生きる私たちとのかかわりを考えるものである。武器の中に仕組まれた笑いの中に、私たちがそのことばを使い続ける理由が見つかるかもしれない。同時に、その武器を手に向かってくる人を笑ってやる方法も見つかるだろう。さらに、古い武器をこれからも使い続けるべきか、改めて考えていきたい。……

 バカヤロー! 
 関西はほとんど使わない。「バカヤロー」を怒った時に使うようになったのは近代以降のことらしい。
 ドラマで、車に轢かれそうになって「バッキャロー!」と怒鳴られたり、「バ〜カ!」と侮蔑されるのが、罵倒語としての「バカヤロー」なのでしょう。
 寅さんが友だちや恋しい人に言う「馬鹿野郎」や、おいちゃんの「バカだねー」は親愛の言葉、というのもわかる。CMでキムタクが「バカバカ」と女性に泣きつかれるのも一緒か?
 海に向かって「バカヤロー」と叫ぶのはどういうものだろう。
 

「馬鹿野郎」は馬鹿な野郎をいうだけでなく、親愛の情や強い否定の気持ちなど、さまざまな場面で意味を変える。そのため「馬鹿野郎」の意味を正しく読み取ることは難しい。しかし、つねに自分中心の立場から発することばでもある。
……自分に対して迷惑をかけるから「馬鹿野郎」。自分が正しくて相手が間違っているから「馬鹿野郎」。自分を認めない人間だから「馬鹿野郎」。愛しているものの、そんなことを言うのは恥ずかしいから「馬鹿野郎」。……このような「馬鹿野郎」によって日本人は自尊心を保ってきた。海や空に向かって「バカャロー」を言うことは悩み苦しむ弱い自己を灯篭や人形(ひとがた)を流すような流す行為に似ていないだろうか。また友人に「馬鹿野郎」を言うのは、相手を否定する言葉が「遊び」として許される関係を確認するためだったと思われる。

 書名にある「甲斐性なし」について。
 この言葉は「夫婦関係を悪化させる、危険な言葉」。江戸時代では、家事のできない女性に対しても使われていた。現代は男性の「はたらき」=仕事、収入、さらに性生活に対して使われる。
 やり甲斐、生き甲斐、働き甲斐、友だち甲斐など、「本人が甲斐を感ずる行為」。

……夫の収入に満足していない妻が、「この甲斐性なし!」と夫を罵倒するときは、収入そのものよりも、出世できない夫の人間性を全否定している響きがある。収入の多寡は税務署の役人でもわかることだが、人柄を表す甲斐性はそうではない。どんな人物かを知っている人たちが、それぞれの主観で判断するものである。だからこそ、日本の夫は「甲斐性なし」に過敏に反応するのだろう。彼らは妻の主観で、低収入でも、頼り甲斐のある人だと、言ってもらいたいのである。

(平野)
関西では「アホ」にいろいろニュアンスがある。
「甲斐性なし」は「かいしょなし」。
妻に上記のような話をしたら「ないこと、最初からわかってるがな!」
喜ぶべきところではないなあ、と……。

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