週刊 奥の院 8.19

■ 『こころ』Vol.8 平凡社 800円+税 
特集:合唱、ハーモニー、みんなで歌う。
ロングインタビュー 小田和正
名作短編小説 リング・ラードナー『ハーモニー』 訳・解説 加島祥造

 私の興味は、
特別インタビュー 中村哲さんに聞く――民主主義で人は幸せになれるのか? 聞き手 半藤一利 
 中村は、30年アフガニスタンで医療活動、農村復興事業を続けている。半藤は彼を「現代の墨子」と呼ぶ。
 現地の灌漑工事、25.5キロの用水路が開通し、数十年間の旱魃で廃村になっていた3000ヘクタールが復活した。新たに砂漠1000ヘクタールを開拓中、4〜5万人が住めるようになる。用水路の後は排水路整備が続く。気候変動で、ヒマラヤからの水が初夏には大洪水を起こし、その後はカラカラ状態になる。農地がどんどん減っている。

【半藤】どうも日本人はアフガニスタンという国は縁がないという印象が強くて、かつてソ連が侵入して、戦乱を起こし、やがて逃げていったことを知っているぐらいで。
【中村】日本人にはわかりづらい国の一つです。今の法律とか、民主主義がどうのという現代的な解釈ではとても理解できるところではなくて、いつも隔靴掻痒の感があります。たとえれば司馬遷の『史記』の世界に近いんです。谷が深く、その谷ごとにいろんな部族、民族が割拠してひとつのアフガニスタンという天下をつくっているというのが実態です。
【半藤】群雄割拠ですか。軍閥が蟠踞して相争うという……。
【中村】まさにそうです。ごく最近まで征服戦争すらやっていました。あそこに民主的な政権を中央に立てて、選挙でまとめあげる国など、将来的にもできないと思います。北朝鮮など、私に言わせればわかりやすいです。
周囲の国との争いはあまりない。原則としてやられなければやらない。不可侵・不可被侵。ただ村同士が物資獲得のため戦う。
(中村とアフガニスタンとの関わりは、1978年、趣味の昆虫採集で山岳会に参加し訪問。84年海外医療協力会からハンセン病治療の依頼。5〜6年で帰るつもりだった。最初は家族同行だったが、教育問題で日本に戻した)
……私が居続けたのは、結局、去ってしまうと後悔するんじゃないかと思って。自分が解決できる問題があるのに、それをほったらかしにして逃げるのはどうも……。日本人として男がすたるといった、シンプルな感覚ですよ。

ハンセン病根絶」が宣言されても患者は増える。98年ベジャワールに病院設立。しかし、激しい旱魃が襲ってきた……。
 現在、現地に残る日本人は中村と事務方1名のみ。中村は600人の作業員の先頭に立って治水工事を行う。江戸時代からある日本固有の治水技術を駆使する。
……もはや私の肩書は(名刺を見せ)日本土木学会員です(笑)。
 

 森まゆみ青鞜』の冒険が完結。
(平野)
 当ブログや紙版を見てくださった方から感想をいただくのはとても嬉しい。が、怖い。特に「奥まで〜」、いつ叱られるかと。
 今回は碧野さんからメールをいただいた。
 削除せー! と抗議かと思った。怒ってはりません? ほんま? 
 小心者のくせに、やってしまう。