週刊 奥の院 8.10

 今週のもっと奥まで〜 ちょい長い、ご辛抱を。
■ 西加奈子 『ふくわらい』 朝日新聞出版 1500円+税
カバー装丁:鈴木成一デザイン室  カバー装画:西加奈子 
 主人公は編集者、鳴木戸定(なるきど さだ)、25歳。紀行作家(奇行)だった父親が、マルキ・ド・サドをもじって名づけた。
 幼い時母が買ってくれた雑誌の付録「福笑い」に熱中した。タオルで目隠しをしてくれた。
 視界が真っ白になり、何も見えなくなる。なのに、新しい世界が、目の前に開けたような、奇妙な体験。……
 母が手渡してくれるパーツを受けとるが、おかめの顔の輪郭さえ忘れている。
 人間の記憶の、なんて頼りないこと! 福笑いによって知った。
 予想もしない「顔」ができる。
 自分の所業を見て、定は腹を抱えて笑った。
 目や、鼻や、口や、眉毛は、それ自体で意思を持っている。彼らの気まぐれで、「顔」は、いかようにも変わるのだ。

 4歳の定は福笑いによって急速に成長する。
 父は世界中を旅して、書斎には旅の戦利品が並んでいた。定はそこが好きだった。
5歳の時、母が亡くなる。父は定を旅に連れて行く。
 7歳の時、「忘れられない体験」。ある部族の葬儀の習慣で、彼らは仲間の肉を口に含む。定も。
 12歳、父は旅の途中ワニに食いつかれて死ぬ。父の肉も口にした。
 18歳からひとりで世界を放浪した。きっかけは、テレビで見た9・11の中継。画面に映る様々な人種の顔・人々を見て、もっと人の顔を見たいと思った。
 定が担当する作家。
 引きこもりの若手。「目・鼻・口が、中央に集まり……、眉毛が、わずかに高い位置にある」。
 現役プロレスラー。「右目と左目の大きさが、歴然と異なる。左目は脱落したように、ずいぶん下に落ちている。」骨折を放置したらしく、鼻は左に曲がり、口は逆に引っ張られている。
 高名な老作家。「切れ長の濁った目と、綺麗な鷲鼻、薄い唇。頭が綺麗にはげあがっていたが、眉毛はふさふさと……」。定はその眉毛を鼻の下に持ってきて髭にして遊ぶ。歴史上の人物も同僚もすべて福笑いの対象。
 引きこもり作家は原稿が遅れている。雨のせいだ、と。定、雨をやませると約束。彼女は幼少からの旅と乳母の力で、雨乞い(やませる)儀式を心得ている。作家、次は雨乞いを要求。原稿は完成し、彼女に感謝。そして、彼女の恋(後述)気づく。
 老作家は死後半年経過していたというニュース。妻が、生前から原稿を書いていたのだった。
 レスラーは試合で倒れるが、連載は最後まで書いた。リングで死ぬ不安を告白する。定は、彼の原稿が好きだ。レスラーの「言葉が好きなんだ。言葉を組み合わせて、文章が出来る瞬間に、立ち会いたいんだ」に共感。「同じように、目や鼻や口や眉毛が、どこにどうやって配置されて顔が出来るのか、その瞬間に立ち会いたい」。父の死んだときのことを語る。「父は顔のすべてのパーツを失いましたが、死んだのは間違いなく、父でした。顔って何なのでしょうか。父は、どこから父なのでしょうか」
 作家3人とも、父の本を読んでいたし、子が人肉を食べたことも知っていた。
 定の恋。
 仕事途中、新宿で白人男性が白い杖を振り回しているのに出会う。本人は困っているようだし、まわりの人たちも困っている。声をかける。ラテン系の顔立ちなのに日本語。イタリア人ハーフ武智次郎、千葉在住。盲目で道に迷いパニックになった。
男の濁った眼は、エメラルド・グリーン、どこか美しい、湖のようだった。湖のすぐ上、近すぎる場所に太い眉毛、そのため目の部分が陰、鼻は、目の間からはっきりと隆起している鷲鼻で、唇薄く、顎が割れて……
 道案内して、話す。武智は再会を求めた。2度目でキスを迫る、触れてくる。
「定さん美人」
その次は同僚・小暮しずくが一緒。武智は積極的に求愛。
「僕の中で、定さんはもう美人なんです。可視化出来る世界のことは、ぼくに知らせないでいい。僕の『すべて』の定さんは、とても美しく、誰より優しいんだから」

 ……
「武智さん。」
「なんですか。定さん。」
「先っちょだけ、とは、どういう意味ですか。」
「そのままです。先っちょだけでも、入れたい。」
「ちょっと!」(小暮しずく)
「入れたい、とは、武智さんの性器を、私の性器に、ということですか。」
「そうです。胸の先っちょを触るだけでもいいんです。」
「このやろう!」(しずく)
「それはどうしてですか。」
「本当は、全部入れたいです。だって僕は、定さんとセックスがしたいんだから。」
……
(でも、待つ、と)
「今は先っちょがすべてで、でもいつか、そのすべてが、もっと大きくなればいい。僕は定さんが、好きです。」

 定としずくが「先っちょ」について語り合う。そして、決意。武智にすべてをゆだねる。それから、新宿を一緒に歩いてほしいと願う。私は武智さんの隣で好きなことをするから、手を離さないで、と。
 何をどうするかは、読んでください。
(平野)