週刊 奥の院 7.19

■ 内田樹 『街場の文体論』 ミシマ社 1600円+税 
装幀:クラフト・エヴィング商會
 教師生活最後の半年に行った講義、「クリエイティブ・ライティング」
 第一講で出席者にレポートを要求。それで履修者を選抜。
タイトルは「私がこれまで会ったなかでいちばん粗忽な人」、1000字以内、採点基準は「説明する力」
 予備校や塾で教える「小論文の書き方」は、「どう書けば入試問題の採点者が喜ぶか」「いい点数がとれるか」。内田は得意だった。しかし、それは内田の考えている「文章の書き方」ではない。

……そういうのはほんとうはよくないのです。受験生であった内田には読み手に対する敬意(原文は傍点)がありませんでした。どうせこんなことを書いておけば採点者は喜ぶんだろうなという「採点者を見下したような視点」で答案を書いていた。……
 でも、今では、ものを書くときに読み手の知性を見下して書くということほど不毛なことはないと僕は思っています。……

 どうして課題が「粗忽な人」なのか?
 学生たちが一度も課題として出されたことのないはずの設問だから、「こういうふうに書けば、教師は喜ぶ」という成功事例が存在しない。自分なりに工夫するしかない。
また、「会った人」の話で、粗忽の度合いを訊ねているのではなく、「説明」=学生たちが見たものを「再生する」能力を問う。

……僕はこの能力をとてもたいせつなものだと思うんです。それは「うまく書く」ということとは違います。「正確に書く」ということとも違う。必要なのは読み手に対する(原文傍点)愛だからです。読者にできるだけ気分よく、すらすらと読んでほしいという思いの深さが「説明」に例外的な色彩と豊かさを与える。……

 それは「読者に迎合する」ことではない。「誰でも知っている話題」「こんなこと書くと喜ぶだろう」というのも「読み手を見下している、あるいは読み手を嫌っている」言語活動。
 言語理論、文学理論を話しながら、講義の目的は「読み手に対する敬意と愛」を身につけること。
1. 言語にとって愛とは何か? 
2. 「言葉の檻」から「鉱脈」へ
3. 電子書籍と少女マンガリテラシー
4. ソシュールアナグラム
5. ストカスティックなプロセス
6. 世界性と翻訳について
7. エクリチュール文化資本
8. エクリチュールと自由
9. 「宛て先」について
10. 「生き延びるためのリテラシー」とテクスト
11. 鏡像と共―身体形成
12. 意味と身体
13. クリシェと転がる檻
14. リーダビリティと地下室
全14講。
(平野)
 本書、内田さんの愛弟子・ゆうこさんが一生懸命お手伝いをしました。感謝の言葉が「あとがき」にあります。