週刊 奥の院 7.14

■ 大江健三郎 『定義集』 朝日新聞出版 1600円+税
 朝日新聞(06.4〜12.3)連載の評論。
装画:福田美蘭  装幀:菊地信義 
最終回「自力で定義することを企てる」より。
 6年間の連載中、毎月読者から不思議な記号つきの短評が寄せられる。
 記号は30/124とか69/124など。
 全行数124のうち引用の行数を表していた。
 大江が引用を大切にするようになったのは、中学生時代、読んだ本から気に入った文章を写し取ったことに始まる。本が貴重な時代、学校図書を独占するわけにはいかなかった。憲法教育基本法も同様に書き写した。

 定義について。私は若い頃の小説に、障害を持ちながら成長してゆく長男のために、世界のありとあらゆるものを定義してやる、と「夢のまた夢」を書いています。それは果たせなかったけれど、いまでも何かにつけて、かれが理解し、かつ笑ってくれそうな物ごとの定義をいろいろ考えている自分に気がつきます。
 しかし私が「定義集」の全体で自分の大切な言葉として書き付けたのは、中学生の習慣が残っている、まず本でなり直接になり、敬愛する人たちの言葉として記憶したものの引用が主体でした。いま晩年の自分が出会っている(そして時代のものでもある)大きい危機について、修練してきた小説の言葉で自前の定義を、とおそらく最後の試みを始め、「定義集」を閉じます。

 連載中に多くの友人が逝った。ある作家・劇作家の訃報、かつて彼の蔵書寄贈記念講演を不注意で欠席してしまった。「老年による崩壊」の思いから立ち直れなかった。
 

私が書庫に籠もって来し方行く末を思った後、なんとか回復に向うのは、自分が若い時から天才的な知己を得た、それは幸いだったと考えてのことです。かれらはみな、子供の心理を持ち続けながら強く深く成熟してゆく人たちでした。現にある崩壊感と、かれらと共生したという気持ちは矛盾しません。

 その作家の作品から引用。
 

いのちあるあいだは、正気でいないけん。おまえたちにゃーことあるごとに狂った号令を出すやつらと正面から向き合うという務めがまだのこっとるんじゃけえ。

(平野)
○「月刊佐藤純子」号外をコンビニのネット予約コピーとやらで入手できると昨日知って本日行ったらもう終わっていた、シュン(泣)。
○N社のS社主が昨日【海】訪問、本の営業なしで【文芸】クマキに人生相談して帰っていったとさ。
○週刊Bの書店員ベスト本アンケートに回答している。けど、いままで採用されたことがない。けど、アンケート用紙は送ってくれるので今回も出した。けど、無理だろう。