週刊 奥の院 7.9
■ 瀬戸内寂聴 『烈しい生と美しい死を』 新潮社 1400円+税
「東京新聞」「西日本新聞」「徳島新聞」に連載した「この道」 。
装画 竹久野生(のぶ)
1911(明治44)年9月「青鞜」創刊。
……明治維新という大革命のあとも、日本の女性の地位は、旧来通り男に従屈して、良妻賢母を理想とする忍従の立場を変えることはできなかった。……
女たちは自分を取り巻く因習の厚い壁の圧迫に耐えられず、自分の爪でその壁を破ろうとして血まみれになった。向学心を持ち、もっと学びたい、もっと世間で働きたい、もっと自分の才能をのばしたいと願望する女たちは、このままではいやだと、心の中で叫びつづけながら、因習に負けて身もだえしていた。
そこに出現した「青鞜」は、彼女たちに思わぬ福音として降って湧いた希望の命綱となった。
巻頭の詩は与謝野晶子。
山の動く日来る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆大に燃えて動きしものを。
創刊の辞、代表者・平塚明(はる・らいてう) 。晶子の詩の熱情に圧倒され「あふれでる思い」を一気に書いた。
元始、女性は実に太陽であった。
真正の人であった。
今、女性は月である。他に依っていき、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である――
「青鞜」の女たち、田村俊子、岡本かの子、伊藤野枝、大逆事件の管野須賀子……、愛し、愛された男たち……、彼らの「烈しい生と美しい死」を描く。「青鞜」の年、大逆の被告たちは死刑。100年の歴史の中に著者の人生も重なっている。
瀬戸内は現在90歳。62年前離婚、幼い娘とも離れた。
家を出た後、子供を盗みに行ったが、無邪気に笑っている四歳の子供を抱きしめてみて、子供を食べさせていく自信がたちまち萎えてしまった。
半世紀前の女の離婚は罪の匂いがした。
(帯)の著者のことば。
百年前、この国の青春は恋と革命に輝いていた。そのまぶしさを、現代の若者に伝えたい。そのなつかしさをかつての若者に送りたい――。
彼女たちの評伝を書いてきた瀬戸内のメッセージ。
装画の竹久野生は、辻潤・伊藤野枝の長男一(まこと)と、武林無想庵・中平文子の娘イヴォンヌとの間に生れた。生後2年で竹久夢二の次男・不二彦の養女に。
(平野)