週刊 奥の院 6.15

今週のもっと奥まで〜
■ 中居真麻 『私は古書店勤めの退屈な女』 宝島社 1300円+税  
 夫の上司と不倫、ドロドロの私生活、波子。アルバイト先の古書店主・小松のゆる〜い存在は何よりの救い。
 場面は、波子が不倫相手を出張先タイまで追いかけて行ったところ。 

…… 

――しかしお前の行動力はほんまにすごい。感心する。
……お前なあ、お前ってさあ。私はKのなんなのだろうと呼ばれるたびに思い、呼ばれるたびに、でも身がすくむほどそれでもいいと思ってしまう。
――お前はほんまにすごいわ。
 Kはまだそれを言い続けていた。
――会いに来ただけ。
 そして私はばかのひとつ覚えみたいに返答し続けた。そういうのをKはうなって喜んだ。暗いくせに単純な男なのだ。やがて私は暗いくせに単純な男にきつく、やや乱暴に抱き締められた。白い布の張られたソファの上でだった。ずっとこうされたかった、と心から思った。……会えた奇跡の幸福感で張り裂けそうになりながら、Kの頬に、私は何度も何度も穴が開くほどに唇を押し当てた。……
――もしいまここで、テロリストに襲われて撃ち殺されるとしたらどうする?
 事が終わったあと、ソファの上でうなだれながら私はそう訊いた。
――ごめんなさい! って叫ぶわ。
 Kは目尻に皺をためて、愚にも付かない答えかたをした。
――死ぬ間際に謝罪?
――そう、俺は謝罪して、死ぬ。
――私は、本望です! って叫ぶ。
 Kの手がまた伸びてきた。
――お前、ええ匂いするやんか。
 再び抱き締められた。さっきの私の言葉をはぐらかしたKに、欲望が引っ張られるなかで、
――シャネルのクリスタル・オーヴェルト。
 と答えた。
……

 古書店主・小松は公務員を退職して、神戸元町で開業。詩人、オヤジバンド、丸眼鏡に紺のベレー帽がトレードマーク。カッコイイオヤジ……?
 モデルはたぶん姫路の古書店主。
 小松さん、天然ボケ=てんぼ、アルツっていて(アルツハイマーぎみ)、頭髪は「ハゲちらかっちゃってる」人。パラフィン紙はファラフィンで、セックスはセクツで、ピクルスや木村カエラを思い出すのに、読んでいる方が「もうええやろ、はよ言い!」というくらい時間がかかる。
 
波子に面接でした古本屋の話は、
――本を大事に思ってください。
 ひとこと。

 肩書きなんてなんでもええんですよ。僕の人間の仕事は詩人やけど、生活の職業は市役所員。そういうことですよ。いまは市役所辞めたんで、たんなる古本オタクのオヤジが職業でーす。

ふたりの会話、一部だけ。小松がかしわ餅を家に持って帰り奥さんと食べた話。

「うまかったですよ。でへへ」
「なんですか、その笑い」
「いやいや」
「いつものラブラブアピールですか」
「お宅んとこと違って」
「笑えません」
「ラブラブじゃないんです。向こうはいやがってますよ。このオッサン市役所辞めてなにかしわ餅なんか食うてんねん、って、思ってますよ」
 でも実際小松さんは、市役所辞めてなにかしわ餅食うてんねんのオッサンである。

 
 アホ話ばかりしているわけではない。ちゃんと波子の事情を心得ていて、さりげなくアドバイスしてくれる。
「正直に生きてみなさいよ」
「いちばんええのは、両方とも切ることやろうね」
「なんにもしなくても生きてればいいんです。波子さんが生きてることで、なんかが生まれるんですから」
「まだ若いやん。これから出会えますよ。波子さんも、ダンナも。……元ダンナも。すんません」
 小松さんの絡んだ話はほぼ実話でしょう。オモロイ・深い人です。
(平野)