週刊 奥の院 3.4

■ デヴィッド・L・ユーリン著  井上里訳 
『それでも、読書をやめない理由』 柏書房
 1600円+税
プロローグ  「文学は死んだ」?
第1章  物語の中の真実
第2章  この騒々しい世界で
第3章  もうひとつの時間、そして記憶
第4章  文学という罠
第5章  本を本たらしめるもの
エピローグ  それでも、わたしは本を読む

 著者は「ロサンゼルス・タイムス」文芸批評担当記者。大学の教壇にも立つ。
 最初に断っておきます。著者の読書、今はもっぱら電子書籍。「紙の本を読む場合と同じ静寂、同じ平静と没頭が必要」。
各章の冒頭で語られるエピソード。
●15歳の子息に、「文学はもう死んでいるね」と言われる。授業で『グレートギャツビー』を注釈つきで丹念に読むのが不満。「好きに読ませてくれれば楽しいのに」
●数年前のあるときから、腰を落ち着けて本を読むのが難しくなってきたことに気づいた。
●子息の宿題、『ギャツビー』の注釈を手伝う。書評を書く予定の小説の書き込みを見せると、彼は笑いを抑えて言う。「父さんがぼくの授業に出たら落第するかも」。
……
 
 読書じゃなくて、研究? 
 私は読書感想文が嫌で嫌で。
 それに、テレビに、ケータイにネット。

……本の虫以外のなにものでもなかったわたしが、突然本に集中することが難しくなったのだ。原因のひとつはテクノロジーにあった。携帯電話、Eメール、ブログ、ツィッターなど。絶え間ないざわめき。現代的で、何重にもつながった過剰ネットワーク生活にひしめく、あらゆる注意散漫の元。原因は私自身の性格にもある。わたしは、世間のもくろみ通り、すぐに気が散り、影響を受け、静寂ではなく混沌に目を向け、少しばかりのめりこみすぎるきらいがあるからだ。

 この問題から抜け出すため、「言葉による把握」を明らかにすること、それこそが文学の魅力、そうしてこそ「自分で考える」ことができるようになる、と語る。

 文学の魅力、本の力に気づけば、読書も仕事も、テクノロジーによる気晴らしも、それぞれ集中できるでしょう。でも、テクノロジーのほうが楽しい、という人が大多数。
 (平野)