週刊 奥の院 3.3
■ 思想の科学研究会 編
『共同研究 転向 (1) 戦前篇 上』
『共同研究 転向 (2) 戦前篇 下』
平凡社 東洋文庫 各3000円+税
全6巻。底本は1978年刊行の改訂増補版(全3巻)。原本は1959〜62年刊。
巻頭に古今東西の箴言が掲げられている。
よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしをしらないと言うだろう。――イエス
今の時代は革命にあらず、移動なり。――北村透谷
しかし私は若く、私はなんとかして生きたかった。このまま滅びるということは堪え得なかった。新しく生きる道を求めようとあがく姿が転向という形をとらねばならなかったのである。――島木健作
……
「まえがき」で鶴見俊輔が語る。日米交換船で帰国。すぐに区役所に届けを出すと、今年最後の徴兵検査に間に合うと言われる。胸に病があるのに「合格」。「第二乙種」で入営待ち。海軍軍属としてジャワに。敵国の短波放送を聴いて、それをもとに新聞をつくる。司令部の参謀たちが読む。鶴見は戦闘になれば自殺するつもりだった。しかし病悪化で送還される。
……敗戦までのこの二年半が、私のPTSD(心的外傷後ストレス障害)をつくった。それが、転向研究の下地になる。
ジャワについて数日たったある時、私の中に考えが生じた。一年前に自分の中にあった考え(日米どちらの国にも与せず、人を殺さずに自分の生を終えよう)という目標から、すでに自分は外れている。それは、世界史のどの時期にも国家をつくったところに生じる現象で、自分の育てた思想を国家に譲ることが起こるのではないか。
(ローマとキリスト教迫害、ナチスとポーランドの抵抗。鶴見個人にとっては張作霖爆殺事件で日本に不信)
……日本人に対する不信の中で、私の中に、転向を、国境を越えて哲学の主題としてとらえる計画を育てた。……
1946年、鶴見、都留重人、丸山真男、武谷三男ら7人の同人によって『思想の科学』創刊。発売元・誌名を変更しながら、第三次版が講談社から発行されていた。55年2月、講談社が発行打ち切り。さらに、週刊誌が誹謗中傷記事を掲載。その厳しい活動中、同会の小研究会が『思想の科学』全体を盛り返す拠点となった。
(上)
序言 転向の共同研究について 鶴見俊輔
第一篇 戦前
第一章 昭和八年を中心とする転向の状況
第二章 急進主義者 前期新人会員 後期新人会員 日本共産党労働者派 一国社会主義者
(下)
ある大衆運動家 ある農民文学者 あるマルクス主義学者 日本浪漫派 虚無主義者
第三章 自由主義者 ある自由主義ジャーナリスト 新興仏教青年同盟 ある自由主義左派の知識人
解説 『共同研究 転向』発刊まで――転向研究の時代 成田龍一
(平野)
鶴見俊輔新刊『日本人は状況から何をまなぶか』(編集グループSURE、2000円+税)入荷しました。紹介は後日。