内田百輭 我樂多箱

■ 備中臣道(びんなかしげみち) 『読む事典 内田百輭 我樂多箱』 皓星社 1600円+税 

 内田百輭は面白い。しかし、どこがどう面白いかということは、当然ながら本人は語らない。現に「シカシ私ハ私ノ目ジルシヲ目アテニ書イタダケダカラ、面白クテモ知リマセント云ヒタイ」(「埋草随筆」ノ序)と書いているのである。
 百輭の文を一度ばらばらの言葉にしたうえで、百輭がなにを考え、いかに生きたかを見れば、面白さの根源が分かるだけではなくて、きっと、自分の思うとおり、偏屈を通して狷介に生きることが、この上なく楽しいことだと判るに違いない。だから、脚か鼻かも知らないままに、勝手になでまわしたものが、これである。面白くても知りません――と私も言いたい。

 百輭文学のキーワードで“百鬼園”を案内。
 

 
内田百輭は無類の猫好きだと思い込まれているようだけれど、実はそんなことはない。自身でも「泣き蟲」という文中に、猫好きという一般の部類には入らないと書いているし、彼が愛して止まなかったノラとクルツあるいはクルでさえ、好き好んで飼ったのではないと記している。……それでもノラが行方不明になったときに礼金をつけてビラを配ったし、クルが死んだときは日々泣き暮らした。……実のところ、生きている間はそれほど可愛がっていた様子もなく、シッポを以て吊るしたりしていたのに、いなくなると、にわかにいとおしくなったらしいことが、こひ(佐藤こひ、後半生を共にした女性)の言動にも見える。

著者は1941年朝鮮大田生まれ。山梨時事新聞記者から、82年月刊「新山梨」創刊、93年休刊。著書、『甦る朝鮮文化』『司馬遼太郎と朝鮮』など多数。02年、『メロンとお好み焼き』で「第6回岡山・吉備の国内田百輭文学賞優秀賞」受賞。
 早世された子息が百輭に傾倒していたことを、下宿の遺品を整理して知ったと明かす。



■ 備中臣道(びんなかしげみち) 『読む事典 内田百輭 我樂多箱』 皓星社 1600円+税 

 内田百輭は面白い。しかし、どこがどう面白いかということは、当然ながら本人は語らない。現に「シカシ私ハ私ノ目ジルシヲ目アテニ書イタダケダカラ、面白クテモ知リマセント云ヒタイ」(「埋草随筆」ノ序)と書いているのである。
 百輭の文を一度ばらばらの言葉にしたうえで、百輭がなにを考え、いかに生きたかを見れば、面白さの根源が分かるだけではなくて、きっと、自分の思うとおり、偏屈を通して狷介に生きることが、この上なく楽しいことだと判るに違いない。だから、脚か鼻かも知らないままに、勝手になでまわしたものが、これである。面白くても知りません――と私も言いたい。

 百輭文学のキーワードで“百鬼園”を案内。
 

 
内田百輭は無類の猫好きだと思い込まれているようだけれど、実はそんなことはない。自身でも「泣き蟲」という文中に、猫好きという一般の部類には入らないと書いているし、彼が愛して止まなかったノラとクルツあるいはクルでさえ、好き好んで飼ったのではないと記している。……それでもノラが行方不明になったときに礼金をつけてビラを配ったし、クルが死んだときは日々泣き暮らした。……実のところ、生きている間はそれほど可愛がっていた様子もなく、シッポを以て吊るしたりしていたのに、いなくなると、にわかにいとおしくなったらしいことが、こひ(佐藤こひ、後半生を共にした女性)の言動にも見える。

著者は1941年朝鮮大田生まれ。山梨時事新聞記者から、82年月刊「新山梨」創刊、93年休刊。著書、『甦る朝鮮文化』『司馬遼太郎と朝鮮』など多数。02年、『メロンとお好み焼き』で「第6回岡山・吉備の国内田百輭文学賞優秀賞」受賞。
 早世された子息が百輭に傾倒していたことを、下宿の遺品を整理して知ったと明かす。