週刊 奥の院 2.15
■ 外岡秀俊 『震災と原発 国家の過ち 文学で読み解く「3・11」』 朝日新書 780円+税
元「朝日」編集局長。
3・11、退職まであと20日だった。被災地を取材して回る。最後のルポを書いて郷里に戻った。しばらくは両親と過ごすつもりだった。
だが、被災地に戻らないという選択は、なかった。あれだけの被災を間近に見て、それを「過ぎたこと」と切り離して生きていくことはできないと感じた。見てしまった者は、見たことの重さを引き受け、その後も見届ける責任を負う。それが、何の力にもならないのを覚悟のうえで。
フリーの身で何ができるか?
大震災によって人生観や世界観の座標軸が揺らいだ。かつて読んだ本を再読することで、自分のものの見方や感じ方の変わりようを測定し、座標軸を立て直す作業を、被災地取材と並行して行なった。
第1章 復興には、ほど遠い カミユ『ペスト』
第2章 「放射能に、色がついていたらなあ」 カフカ『城』
第3章 「帝国」はいま 島尾敏雄『出発は遂に訪れず』
第4章 東北とは何か ハーバート・ノーマン『忘れられた思想家――安藤昌益のこと』
第5章 原発という無意識 エドガール・モラン『オルレアンのうわさ』
第6章 ヒロシマからの問い 井伏鱒二『黒い雨』
第7章 故郷喪失から生活の再建へ ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』
終章 「救済」を待つのではなく 宮沢賢治『雨ニモマケズ』
第1章の『ペスト』、戦争という災厄を生きてきたカミユが設定をペストという極限状態に置き換えた作品と理解していた。再読して、「想像を絶する規模でくり返し襲来するすべての災厄にあてはまる普遍的な物語」と知る。この国の現状に当てはまる。
「ペスト」と「原発事故」の共通点、政治家・専門家の判断回避、隔離に生じる不平等……、ペストと闘う医師リウーの「誠実さ」に希望を見い出す。
災厄のさなかに、人ができることは限られている。そこにあって、ヒロイズムやイデオロギーは無力であり、無益だ。いたずらに期待せず、絶望もせず、今起きていることに淡々と対処し、疲労のうちにまどろむ。そうして「永遠の足踏み」に耐え、単調さを克服する唯一の足場は、災厄では抹殺できない「希望」を支えに自分の職務をこなす、という「誠実さ」でしかない。
3月には岩波新書で『3・11複合被災』刊行予定。
(平野)
「全国書店新聞」2・15号 アップ。「うみふみ書店日記」は2ヵ月ぶり登場。いつものおバカ。
http://www.shoten.co.jp/nisho/bookstore/shinbun/news.asp?news=2012/02/15