週刊 奥の院 1.3

■ 眞鍋呉夫(「呉」正しくは旧字)
『天馬漂泊』 幻戯書房 2800円+税
 眞鍋は1920(大正9)年福岡県生まれ。39(昭和14)年、阿川弘之島尾敏雄らと同人誌『こをろ』創刊。文化学院佐藤春夫に師事。戦後、檀一雄と親しく交流。48年「サフォ追慕」が芥川賞候補。句集で数々の受賞。本書は、文壇青春記録ともいえる小説集。檀一雄生誕100年記念出版。 


 古いノート、昭和21年5月19日に一行、檀一雄氏来訪」。その日の記憶は、
「最近の見聞ででもあったかのように脳裡に刻みつけられている」 
 ちょうど創刊準備中の文芸誌『午前』に三島由紀夫が寄稿してくれた原稿を読んでいた時だった。

……野暮ったいほど生真面目な青インクの字を辿っていると、突然、たてつけの悪い玄関の引き戸が威勢よくあき、
「ごめんください!」
 あたりを憚らぬ闊達な声が、白蟻に食い荒らされた家内(やうち)に響きわたった。いつもは反応の緩慢な母が、その声に釣りこまれたように、
「はーい、ただいま……」
 と玄関に出ていく気配がして、二タ口三口、応対のやりとりが聞こえてくる。と思うまもなく、その足音がまた階段の下まで引き返してきて、
「呉夫さん。お客さんですよ、ダンさんとおっしゃるかた……」
 ダンさん? すると、私どもの同人誌『こをろ』の同人であった矢山哲治や田尻啓があれほど傾倒し、何か世にも珍しい純粋結晶でも分ちあたえるような神妙な口調でその噂をしていた、『花筐』の檀一雄さんか。……(『こをろ』終刊号に檀は詩6篇を寄稿して従軍、著者も応召)……もはや生きてこの世で相見えることなど万が一にもあるまいと思いあきらめていた、あの檀さんが来たのか。
 私はあわてて立ちあがった。ほどけかけていた兵児帯を結び直すのもそこそこに、急いで階段をおりて玄関に出てみると、毬栗頭に灰墨色の国民服を着た檀さんが、……窮屈そうに首を縮めていた。

(平野)
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