週刊 奥の院 12.30

 今週のもっと奥まで〜
■ 角田光代 『曾根崎心中 原作近松門左衛門』 リトルモア 1400円+税
 時は元禄、大坂堂島新地の遊女初、想い人は醤油問屋の手代徳兵衛。はじめて逢ったのは1年前。

 
……女を見定めることになれていないのだろう、ちらりと目を上げてはさっと逸らす。何げなくその様子を見ていた初と、ちらりとこちらに顔を向けた徳兵衛の目が合った。徳兵衛はさっと目を逸らしたあと、また、おずおずと初を見た。
 しばらくそのまま見つめ合った。うつくしいとそのとき思ったわけではない、触れたいと思ったのでもない、なのに初は目が離せなくなった。知っている、と思った。この人を知っている。どこで会ったか? 前にきたことがあるのか、それとも新地の外で会ったのか。……
 酒、塩貝や花鰹、蜆の吸い物など用意する初を、徳兵衛はじっと見ていた。もう一度目が合って、あ、知っている顔だが知らない人だ、会ったこととはない人だと気づいたとき、初は、長く細い爪で背中をすっと引っ掻かれた気がした。まだ見習いのころ、島(先輩)が酔っぱらってはふざけてよくやったように。
 見つめ合ったまま、見えない力に引かれるように二人は近づき、そうして抱き合った。触れられるところがいちいち熱くなった。激しいのに、やわらかく包みこまれるようなその熱を、初はそれまで感じたことがなく、その熱に身をまかせていると何も考えられなくなった。いつも初は行燈を消し、着物をすべて脱ぐことはけっしてないが、あやうく明かりをつけたまま、すべて脱ぎ捨ててしまいそうになった。……

 徳兵衛は恩ある叔父からの縁談話とその持参金(継母が受け取ってしまう)でトラブル。金は取り戻すが、幼なじみに騙し取られる。おまけに罪人にされてしまう。絶望した二人は死を選ぶ。曾根崎の森、初は徳兵衛に剃刀を渡す。

……ああ、熱い、燃えるように熱い。初は目をかっと見開く。そこにいとしい男の顔があるのをたしかめる。両手でその目に触れ、鼻筋に触れ、くちびるに触れる。ああ、なんてきれいなんだろう。なんてうつくしいんだろう。初の触れた目も、鼻筋も、くちびるも、みなぬるぬると赤く染まる。きれいな男。徳兵衛の目に、自分の姿が映っているのに初は気づく。自分の顔も、徳兵衛とおなじように赤く染まっている。きれいだと徳兵衛が言った顔だ。こんなにきれいな人は見たことがないと言われた顔。ほんとうだ、ほんとうにわたしはきれいだ、徳兵衛とおなじくらいきれいだ、ねえ徳さま、目を開いてしっかり見て、わたしを見て、わたしと、わたしの目に映る徳さまを見て。きれいなわたしたちがこの世で最後に見る景色だよ。遠くで子どもが泣くようなまっすぐな声が聞こえる。子どもじゃない、徳さまが泣いている。泣かないで、目を閉じないで、さあ徳さま、いっしょにいこう。……

(平野)